FBでコンスタントに風景の写真を投稿する人がいて、日本中の季節の移ろいを知る事ができるのは素晴らしい。朝の散歩の写真を毎日投稿する人が何人かいるので、毎朝以前やっていた「ズームイン!朝」的な感覚でその画像を観る事も出来る。朝の空の写真は、眺めているだけで元気が出る。今のデジカメは空の写真はだれでも比較的簡単にキレイに撮れるので、僕もわりと空の写真は撮るようにしている。今の空の状況は瞬間瞬間で唯一無二のもので、一生同じ空を見る事はない。
空を観るということは顔を上に向けるということだから精神衛生上もいい習慣といえる。人間は地面に近いところにいるので、水平方向は比較的見ているけれど上下垂直方向の視野はあまり広くないものなのだ。とくにLow moodの時、人は俯いていて空を見上げる事はしないし、上下を意識していないと一日のうち「空を一度も見上げずに」生活することもある。心理学的には「上を向いて歩こう」って意味あるわけだ。「あの雲の上には絶対に神様がいるに違いない」という、子供の頃から誰もが持っている自然に対するシンプルで真摯なイメージを確認することもできるし。
ネットを通して、様々な素晴らしい夕焼けや月の画像(中には本当に作品として素晴らしいものもある)と出会う機会が増えてきた。「今この時を共有している」というほのぼのとした「つながり感覚」。デジタル的な「掬水月在手」。その感覚は一昔前であれば「バーチャルな連帯感」みたいな接頭修飾句をつけて語られていたけれど、むしろ今の時代ではそれが当たり前すぎて、現実の(リアルの)方の人間関係の大切さを逆に強調されたりする。このバーチャルな繋がり感覚が当たり前という状況では、人と人との距離感は「感性」とか「視点」とか「考え方」などを「いかに共有できるか?」ということが大切になってくるわけだ。それをどうやって人に知らせていくか(アウトプットするか)が、さらに大切なことになるわけで、結局は教育論になってしまうのかも。
画像はi-phoneで撮ったジムの帰り道の夕焼け。空が高くもう完全に秋の空/太陽が沈む直前で、低い空にある黒い雲が揺らいでいた。ここからがつるべ落とし。逢魔が時。