そんなことを感じたのは、朝から本当は決算関係の仕事を仕上げなければならないのに、現実逃避して、Desperate Housewivesの続きを2話分観てしまったからか(笑)。このドラマの登場人物たちは皆、「普通の生活」を営んでいるのに、とんでもない秘密や個人的な深い事情を持っていて、それが複雑に絡み合っている。その設定に視聴者はハマる。ドラマだからもちろんデフォルメされているとはいえ、僕らの目から見れば登場人物はみんな「自分勝手に感情をむき出しにしながら」生きているように見える。僕がアメリカで生活していた頃(20年以上前だけれど)の周囲にいたアメリカ人達(当然ながら医療関係が多かった)より、さらにエキセントリックというか「わがまま」になっている気がする。僕の思い過ごしなのかな?従前からのアメリカ人の「個人主義」とは違った形の、何か漠然とした不安感や怒りがベースにあるのかもしれない。それがタイトルのDesperateという形容詞になるのだおるけれど。まあ、この20年で日本も日本人もずいぶん変化した訳だから、アメリカも変わって当然なんだろうなという気もするけれど。もう少し考察の余地あり。そういえばアメリカのメインランドにはもう10年行っていない。

有明からの帰路、病院に寄り化膿性扁桃腺炎で入院していたかなPの退院ピックアップ。晩ご飯は玲舫さんのブログを参考にして青椒肉絲(画像)とアサリとニンニクのスープ(壱語屋風)。うまし。
決算関係の書類整理は明日までずれ込まないように頑張らねば・・・今夜中に仕上げられるか?
明日の休日は金曜のライブにむけたハックル練習の予定。