助けあいジャパン

October 25, 2010

いかに要領よく立ち回るか?という技量を試される

今日の帰路の大井町線。たまたま前の座席が空いて座ったら、その隣に座った男性の様子がちょっと変わっている。なにやらブツブツと独語を言いながら必死の形相で、英語で書いてある問題集らしき小冊子を読んでいる。気になったので、それとはなしに傍目で観てみると、accountingとかP/L ratioとかのタームがある。アメリカのCPA(公認会計士)のMC試験問題みたいだ。最近わりと若いビジネスマンに流行っている資格で、英語さえ普通にできれば、専門学校とか通信教育でとる事ができるらしい。僕の知り合いにも若いころ取得してる人が何人かいる。その男性が、「あっ!」とか「うっ!」とか、あまりにも芝居がかっている動作をする(笑)ので、僕を含めた周囲の乗客達ははっきりいって「引いていた」けど、本人は本気だったみたいだ。穿った見方をすれば自己満足のパフォーマンスかも。確かにあんな感じの芝居がかった動作って普通の感性のある人間なら恥ずかしいもの。

「石に齧りつく程の」熱意を持って勉強することは、素晴らしい事だ。決して否定はしない。資格試験といわれるものにパスするためには、どんな資格であってもそれ相応の時間と集中した「頑張り」が必須で、だからこその「国家資格」なのだ。日頃はちゃらちゃらと遊び回っていたこの僕だって、若い頃の試験前には、必死に勉強したもんだ。過酷な医学部の卒業試験&医師国家試験と、アメリカのECFMGとVQEを取得するまでの勉強は、あの時期でなくては出来ないくらいの「ひたむきな時間」だったと思う。今となっては懐かしい日々だ(遠い目<笑)。そのくらい辛かったから、もう絶対にあの時期には戻りたくない、と思う。でもね、今日のあまりにも必死な彼の姿を観て、僕はちょっと「違和感」を感じた。電車で必死にならなくちゃいけない位だったら、逆にちょっとヤバいかも。集中するポイントがずれているんじゃないか?実際に、いつ勉強してんの?というヤツほど成績が良かったし、ガリ勉タイプのヤツか落ちてしまうというパラドックスもあった。自慢じゃないけれど、日頃から必死に勉強している学生よりは、僕は試験の成績順位は悪くはなかった。医学部のクラスでは平均かそれ以下の脳力だと思うけれど(爆)。それを言うとかみさんは「あなたって真面目に勉強している学生を小馬鹿にして、本当にサイテーにヤなヤツね!」って言う。ま、その通りかもしれない(爆)。でもね、国家試験では馬鹿正直に勉強していた学生が何人か脱落し、逆にふらりふらりひらひらと要領よく勉強した連中は一人も落ちなかった。そんなものなのだ。

その自分の経験を通して「いかに要領よく集中するか?」が僕は一番大切なんだと思う。医学部の学生だけでなく、たぶん法律を学ぶ学生も会計学を学ぶ学生も同じだと思う。明日の朝の試験時間までにこの分厚い本の内容を憶えるにはどうしたらいいか?という「切羽詰まった時の学びのノウハウ」をどの時点で、いかに習熟するか?。それができないヤツはどんどん脱落して行く厳しいプロの世界なのだ。資格をとった後の方が、実はさらに過酷な勉強が待っているのだから、考えてみればその能力や技量を試験で問うのは「当たり前」のことなのだけれど。

大学受験のための「受験勉強の功罪」がディスカッションされて久しいし、その反動としての「ゆとり教育」もあるわけだけれど、僕は若い人に「高い(けれども越えられない事はない位の)ハードル」をどんどん課して、それをパスさせることはいいことだと思う。その経験を通してその「要領よく効率的に学ぶ」極意を経験させ、その後の自信につなげる事は大賛成だ。頑張りすぎずに、スマートに学べ!>若者達
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