助けあいジャパン

October 20, 2010

「政治主導」という耳に心地よい「幻想」

「正しい選挙」で選ばれた選良である政治家が、国家権力を行使して予算を牛耳り、社会システムを改革し、行政の舵取りをして行く。民主自由主義世界に生きる我々民衆の耳には心地よい響きだ。でも、1990年代から盛んに叫ばれるこの「政治主導」というのは、少なくとも今の日本においては「幻想」なんじゃないかと思う。残念だけど。どうもアメリカでもイギリスでもドイツやフランスを初めとしたヨーロッパ諸国でも、今同じようなことが起こっているらしい。

成長路線を突っ走っていた1960ー1970年代の日本には、世界一と言われた優秀な官僚とそれを支えるシステムがあった。もちろん当時でも問題はいっぱいあったのだけれど。そしてバブルの崩壊というパラダイムシフトで我々はその旧来のシステムを「否定」せざる得なくなり、今に至っている。いわゆる「官僚イジメ」だ。政治家もマスコミも世論も、一斉に官僚(とくに天下り)を攻撃するようになった。なぜなら、彼ら官僚は「公僕」なので「真っ向から反論」できないので「標的」「餌食」にしやすいのだ。

考察の論点としてのメモを記しておく。

①政治のアンチテーゼとしての官僚、という図式は本当に正しいのか?
②いわゆる民主主義国家の「選挙」制度は、本当に公正で効率的な意思決定制度なのか?
③共産党独裁の非民主主義国家の中国の経済成長のシステムは、新しい形の「官僚主導」システムなのか?
④その本質と、将来の危うさは?共産主義独裁国家は超格差社会で維持できるのか?
⑤ITの進歩は、ポピュリズム政治を助長し、正しい政治を変質させてはいないか?
⑥最近、政治主導という言葉に惑わされ、新しい「衆愚政治」が台頭していないか?
⑦ぶっちゃけた話、成熟した社会の、自由で知的に洗練された人たちが選んだ「ホンモノの政治家」なんて、本当はどこにもいないってこと?

⑧だとすれば、僕ら凡人が選べる道は二つ。
 ①騙されてみるふりをして、政治家をコントロールする。
 ②保守回帰を進めて、旧来の官僚主導システムの優位性を主張する政治へとシフトする。

ああ、ココまで考察の論点を書き出してみたら、やっぱりこの問題も本質は「教育」の問題なんだって気がついた。
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