助けあいジャパン

August 27, 2012

ああ憧れのFuka Lodge

北川先生がお見舞いに来てくれて、彼と3時間以上懐かしいアメリカ、ニュージランドでの生活の昔話。彼とは若い頃から医師として海外にキャリアを求めたという共通点があって、もう25年来のお付き合いだ。懐かしさとともに、自分が忘れかけていたあの頃の「熱さ」を感じて、今日は随分インスパイアしていただいた。

大学の医局を飛び出して、経済的に厳しい状況に自分を追い込んでまで海外で頑張った。そういうキャリア志向の根本にあったのは、何だったんだろう?当時でも外科医としていろんなチョイスがあったのに、僕らはとにかく海外へ向かった。あの時代(あの年頃?)の人生を動かすパッションとしか言えない「熱さ」。ミーハー的な単なる憧れだったのかもしれない。しかし、それがいくつかの人生の岐路であったことはたしかだ。

あの時代に本当に多くの経験があり、その後に繋がる多くの出会いがあった。大失敗も多くしたし、未熟だったことで遠回りをしたり失ったこともあったとは思う。でも、今考えてみると、多くのラッキーな出会いとご縁の賜物何だったと痛感する。

LAからあの後ネブラスカに移っていたら?デンヴァーに移っていたら?帰国してからKCMCに戻りそのまま残っていたら?大学に戻りそのまま大学病院にいたら?T大学に移っていたら?その後、NZウェリントンに移ったこと、そして帰国。大学を辞めるチョイス…。いろんなIfがあり、人生の岐路があった。しかしそれらの決断やチョイスに後悔はない。いろんな岐路があり、いろんな出会いがあり、タイミングがあり…つまり、それがすべてご縁でつながっているのだから。

ただ、尚子には苦労をかけたと思う。たまたま結婚した男がアメリカのライセンスを持っていて、自分では全然興味がないのにアメリカに連れて来れられて2人だけで出産子育て。彼女にとっては辛く心細いことも多かったはずだ。日本に帰ってからの引越しだけで横浜までに3回。まだ小さな子ども3人を抱えて大変な時期だった。僕は病院に入り浸っているし、呼だしは常にあるし海外での生活はストレスだったろう。その後にNZを2回往復の引越し、さらには帰国してから横浜で3回。今の家に決まるまでにさらに引越ししていることになる。まさに引越貧乏そのまま。今考えてみるとトンデモナイ生活を余儀なくさせてたのだねえ…。すまんすまん、ごめんごめん。

今日ニュージーランドのことを思い出していたら、やはりあの「ごく普通のNZ生活」がいかに至福の時間だったのかを痛感した。

本日の追加、憧れのFuka Lodge  http://www.hukalodge.co.nz/ 
現在入院中の今の僕の妄想として。
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