高校半から浪人時代の、もうこれはマザーフードといっていいだろう。家のご飯を別にすると、週に2−3回、場合によってはそれ以上食べていたかもしれない。というか、当時はそんなにチョイスがなかったのだのだな。とにかくハマった。
まずは「和光」。
僕とじょうじ君の家の近くの文京区水道にあったいわゆる街の中華屋さん。ここは今思い出して本当に美味しかった。昼間の営業夜の営業。小柄で痩せていて、余計なことは一切言わない寡黙なご主人がカウンターのみで仕切っていたが、時々奥さんが手伝う。製版や印刷製本の会社が集まっているあの地域で、毎日21時くらいまでやっていたと思う。デフォルトのラーメンがしっかり美味しい。いわゆる東京ラーメン。サイドを固める軽めの餡がジューシーな餃子。でも、ここんちはなんといっても、焼肉定食(豚ばら肉)だ。今考えると、いわゆるサムギョプサル。ラードを熱した中華鍋に投入して塩コショウして仕上げはラーメンの醤油だれをジュジュっと入れる。千切りキャベツのてんこ盛りに乗せたお皿に油をじゅじゅっとのせる。それだけ。ご飯だけれ3杯食べられる(笑)。これに前述したラーメンか「野菜スープ」か定番だった。ラードの油膜が1ミリ位あって熱い(笑)。濃厚塩味。あとは野菜炒め、ソース焼きそば、たまにレバニラなど。おお、チャーハンも白眉だった。今でもいつでも恋しいあの味。
この店は、浪人時代は確かにあったが、僕が大学2年になって実家に戻ってきたらその頃はもうなかった。夜中のレコーディングをやっていた頃は、夜明け前の千駄ヶ谷のホープ軒だった。これはこれは懐かしい思い出で、ハックル的にはラーメンのイベント的には和光からのホープ軒に移行した感じか。ここも懐かしいがここ10年以上行ってない。当時の新しさがもうなくなってしまったのが残念。
万世麺の肉味噌排骨(パイコー)ラーメンは、1975年前後の僕の食事を考えると感謝を込めて書き留めておかねばならいけない。万世麺店に関しては、現存しているものの昔のものとは似て異なるものになってしまった。あのうどんのような超太麺、超大盛り、とんこつ鶏がら醤油味のスープ。万世麺店に関してもどこかで別稿に書いておこうね。
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おまけとして神田駿河台下の「ピカいち」
今はスノボー屋さんになっている。昔はどこにでもあった感じの、いわゆる典型的な東京屋台ラーメンだった。逆に最近では絶滅してしまった感もあるシンプルな醤油ラーメンだった。
http://dondongi.cocolog-nifty.com/woodland_path/2007/01/post_6099.html
半地下に入っていく間口の小さなお店。固めに茹でた縮れの少ない麺。中細麺。スープは醤油濃い目透明。一番の特徴はねぎ油(たぶん)と生姜だと思う。あのころの定番でまず「耳かき」みたいな匙でチョコっと丼に味の素を入れて、その後にあの生姜の効いた鶏がらだしのスープを入れてた。チャーシュ(煮豚)は小さくメンマ少なめ、だったか?ご飯前なのに近くに行くと寄ってしまう麻薬的な(笑)味。「おやつ」的な雰囲気だったな、あの頃は。丼も小さめだった。1980年代に閉店したそうだ。色々探したけれど画像はない。ああ、懐かしい。[携帯]プロット。