November 26, 2012

日本の恋と、ユーミンと。

僕らの世代にとってサザンとユーミンの音楽の影響は外せない。ということで新しいユーミンのベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」を早速堪能している。

僕らの世代にとっては、1975−1980のゴールデン・エラ

ユーミンに関しては、みんな語り尽くした感もあるけれど、じつはまだまだ言い足りない感じ。

楽しい思い出と考察を続ける。

盟友いしじゅんの最近の仕事とのこと。素晴らしい!
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=449674125070551&set=a.181524138552219.31267.181523351885631&type=1&theater


November 25, 2012

「やっぱり」が気になる

日常生活の会話の「やっぱり」という言葉が気になる。気がつかないうちに、自分の会話の中でもかなり入れているかもしれない。テレビのインタビューなどを見てもものすごく頻度が高い気がする。

「やっぱり」と、まず自分の立ち位置を肯定的に捉えて、安心してから発言する態度。あとは下品だけど「やっぱし」か。本来は会話の合いの手とか調子あわせ的な使い方だった。でも昔の政治家は決して「やっぱり」なんて言わなかったと思う。テレビ的な会話の中で一般化したことは確かだ。

あ、でもな。。。「したっけ」なんて江戸言葉はもともとあった。落語家が話すような古風な東京下町言葉だ。「したっけ、無理言っちゃなんだし…」みたいな使い方。まっつぐ(真っ直ぐ)進む、なんかと同じ江戸言葉だ。浅田次郎の小説によく出てくる。ということで、「やっぱり」はあまり意味のない「つなぎ言葉」なのだ。

あ、話題がずれた。だからこそ、昨今の「やっぱり」が気になってしまう。
ということで、老若男女日本中で「やっぱり」なんていってる。

November 24, 2012

謎の明治かぞえ歌

僕の出た幼稚園は日本最古の歴史のある幼稚園だ。最近ではで今上天皇のお孫さんが入学していること話題になった。その小学校で、明治以来歌い継がれた歌がある。数え歌だ。学校で教えてもらったようなものではなくて歌い継がれていったものだろう。それから「フリ」があって女子はもう少し歌が長かった気がする。記憶が曖昧。

で、なぜか一昨日このフレーズが出てきてしまって頭から離れない。それなりに歴史の重みのある歌詞なのだ。


明治XX年、XX月XX日 
切腹なされた兄様の お墓参りに参ります
お墓の前では手を合わせ 南無阿弥陀仏 と拝みます


歌の内容から推察すると、会津?旧徳川か?
上野の山に登った会津敗残兵の話か?
あるいは白虎隊の話なのか?
昭和30年代に歌われていたことも興味深いなあ。
その意味では薩長ではないだろう。
それを官立小学校で歌い継がれてきたのが非常に面白い。

誰か何か覚えてない?>同級生各位
気になりだしたら気になってしかたない。。

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追補
淳子さん初めいろいろ情報有り難うございました。西南戦争なんですね。ふむふむなるほどなかなか深い話。全然不勉強だったと反省してます。

  1. いちかけ にかけて さんかけて
  2. しかけて ごかけて 橋をかけ
  3. 橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺めれば 
  4. 十七、八の姉さんが花と線香手に持って
  5. これこれ姉さんどこ行くの
  6. 私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です
  7. 明治10年3月3日
  8. 切腹なされた父上のお墓参りに参ります
  9. お墓の前で出を合わせ
  10. 南無阿弥陀仏と拝みます
  11. 西郷さんの魂は
  12. ふわりふわりうらめしや(じゃんけんぽん)



November 17, 2012

おっちょこちょい

最近使わなくなった昭和の言葉。

「おっちょこちょい」
粗忽な人、落ち着きないさま。1910年代にはすでに東京で使われていた言葉らしい。なんとなく響きにユーモラスで、あまり深刻そうじゃない感じがあって面白い言葉だ。子供の頃はよく使われたのに、いつのまにか全くといっていい程使われなくなった。無声映画時代のナンセンスギャグのニュアンスがある。子供の頃、落ち着きのない子供で、しょっちゅう怪我をしていて、お前は本当に落ち着きのない「おっちょこちょいな」子供だ」とよく云われた。

同じような感じの言葉に「すってんころりん」がある。勢い余った感じで転倒するさまで、これもなんとなく深刻さがない「結果オーライ」のユーモラスなニュアンスがある。すってんころりんと「やっちまった〜」的な感じ。僕的には、「おむすびころりん」の童話のイメージがかなり大きく、転倒>ころりん>おむすび の固定観念がある。

演劇の流れで「口喧嘩の啖呵」の「すっとこどっこい」もある。威勢のいい侮蔑の言葉で、今は死語だろう。実際に使っているのは時代劇の町人くらいか。

「つんつるてん」身長に対して丈の短い衣服などを着ているさまをからかったり自嘲する際に使う言葉。逆に新しい表現かも。

November 16, 2012

痒いマゾ地獄

皮膚が痒い。一日中、全身が痒い。ちょっと油断するとポリポリと掻いている。もともとアレルギーがあるところに、ドライスキンがあって悪化している。痒みが始まると止めどなくポリポリしている。痒みは持続的な軽度の痛覚なのだ。

痒い。それにしても痒い。爪を立てて思いっきり掻き毟りたい感覚。痒いのは辛い。でも辛いのだが掻きむしっている状態は心地いい。そう、気持ちいいのだ。アホみたいに虚脱して呆けた表情で、できることならば時間無制限に思いっきりポリポリしていたい気分。痛覚とはいうものの、明らかな快感なわけで、はっきりいってマゾだね、これは。

スキンケアをナースに相談して(彼らはスキンケアのプロなのだ)午後からずいぶん楽になった。てか、我慢していないでもっと早めに相談すれば良かった。ぽりぽり。


November 14, 2012

危険な標語

今日は、所轄警察署にて予防接種。一般の会社と違い、さすがにキビキビと規律正しく時間内に終了。所内の廊下にあった標語


確かめよう 撃つ時 撃つ場所 撃つ相手

くれぐれも、よろしくお願いします
ちょっと出来すぎかも(笑)

おーい、お茶(その2)

清涼飲料水(というタームもすごい!)としてのお茶が生まれるまでの苦労には色々とあったんだろう。1985年当時のことを思い出してみると、官庁関係の会合では「お茶が出ていた」のが、その頃から缶入りになった気がする。つまり、それまではお茶は淹れるもので、ジュースみたいにコップに注ぐものではなかった。莫大な利権になったことも想像に難くない。日本だけではなくて、ちょっと遅れて中国、台湾、韓国などアジア諸国も同じ状況だったのだろう。その当時「その国」の「どこにでもあった」お茶を淹れるいうことを改めて見直したのがすごい。「商品」として売り出してしまったこともスゴイ。当時の僕達も「えっ?お茶?ダッセー。」と半信半疑だったのだ。しかし、商品としての素晴らしさが優っていた。日本のどこに行っても入手できる飲料としての「冷たいお茶」のすばらしさを消費者が認めたのだ。今ではほとんどの日本人はお茶は買って飲むものになっている。こういうのを「革命」というのだろう。

November 13, 2012

おーい、お茶!

今では当たり前になってしまった感のあるペットボトル入のお茶。完全に発想の転換によって、実際の習慣や文化のほうが変わってしまった。調べてみると1985年が区切りなんだという。ほんの20年なのだけれどこの変化は大きい。その直前まで僕らはなんの疑問も持たずに、お茶といえば普通に急須から淹れていたし、夏の風物詩のよく冷えた麦茶はどの家の冷蔵庫にも入っていたものなのだ。お茶だけでなく確かにこの1985年から1990年は激変の時代ではあった。ペットボトルに入ったお茶を商品として売るという発想。これは考えれば考えるほどユニークな着想と構想力だった。水が(普通の飲料水が)商品として日本で売れるなんて「考えてもいなかった」のだ。

November 11, 2012

2013ご挨拶(原稿)


年頭のご挨拶 (原稿)
Responsibility

新年あけましておめでとうございます

病院は様々な職種のチームで成り立っています。プロフェッショナルのすべての業務には、役割と「責任」があり、それが発揮されて初めて病院として正しく機能します。日々の忙しい業務の中でも、常に責任の所在を常に明確にしておくことが大切です。

英語で「責任」をresponsibilityといいます。組織の中で臨機応変にresponse(対応、変化)する(能力)abilityという意味です。繰り返しになりますが、この「変化に対応する能力」のことを「責任」と呼び、その責任をとることをtake responsibilityと云います。

自らの責任を改めて認識し、旧年同様、職員一同が高め合いながら頂きを目指す所存です。
本年もご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。

ちょっと硬いなあ。。。(笑)

November 9, 2012

閃いてなんぼ

能力(脳力)の低下がひどい。いわゆる「閃く」頻度が低くなっただけではなく「閃いた」としても、ちょっと経つと内容を忘れてしまうのだ。閃いたことを覚えていればまだ救いがあるが、何を閃いたのかを忘れちゃったりする。もともと年齢的な要素は大きいと思うけれど、病気をしてからさらに進行した感じもある。最近では「そもそも何を話していたのか」がわからなくなってしまうこともあった。一言で言えば集中力の無さということなんだろう。情けない話だ。筋力維持ののリハビリもこのところサボっているし、このダメダメ状態を自分で意識しておかないとまずい。

さなメモより転載


病気になって改めて「高齢者のネット利用アップ」というライフテーマについて思う


http://www.satonao.com/archives/2012/11/post_3476.html


November 7, 2012

バッファローの奇跡

いやはや、驚いた。25年ぶりにアメリカ時代の恩師の連絡先がわかった。奥様の病気療養でLAからバッファローに移って以来、連絡がつかなくなっていたのだ。転居されてからの正確な住所が記してある(LA以降の2つくらいは記憶にある)。その後僕たちは帰国し、さらにニュージランドに家族で移動しているうちに、さらに連絡が取れなくなって諦めていたのだ。あれから20年。御年80歳になられてお元気ならいいなあ。あの若い頃の颯爽とした教授の姿を思い出すと、心が熱くなる。そのくらい本当にお世話になったのだ。
http://sandgem.blogspot.jp/2012/05/blog-post_06.html

それにしても、驚いた。ネットの検索力の凄さ。今回はさとなおくんのお知り合いの方がたまたま僕のブログを読んでいて、そのワイナー先生の話をブログに書いたことがきっかけで話がつながったみたいだ。今の世でなければ「奇跡」みたいな話。まさに、ご縁の話だと思う。ありがたや・有り難や・

November 6, 2012

爺さん&婆さんばかりの社会

65歳以上の高齢者が初めて3000万人を突破したとのニュース。この調子で高齢化が進んだとして、30年後の2042(平成34)年に3878万人でピークを迎えるまで、高齢者数は増え続けるという。2005年から2035年にかけての高齢化を予測しているが、僕らの世代でいえば、全国平均が45.1%なのに対し、東京圏は77.0%で、50%前後の関西圏、名古屋圏と比べても突出している。東京23区を取り巻くように高齢化率4割程度の自治体がずらりと並ぶ。SF的空想上のゴーストタウンみたいな首都圏の都市。あ、そういえば村上龍の近未来小説にあったな。単なる空想ではなく20年から30年先に「じじい&ばばあ」ばっかりの社会が来る。成熟した社会といえば聞こえはいいけれど、想像するだけで暗くなってしまう。やだやだ。

プロの力量

先日の講演会ではプロの方に写真を撮っていただいた。出来上がって来た写真を見て、感嘆した。プロの圧倒的な力量と表現力。さすがプロフェッショナル。同じように僕という被写体を撮っていても、ぜんぜん違う対象が写っている。シャッターを切る操作(って最近は云わないんだろうな、もはや)に対する考え方が、デジカメになって大きく変わったであろうことは素人の僕にでもよく分かる。やっぱりすごいな。

カメラに関しては興味を持つのが遅すぎた感がある。もともと興味があったのに食わず嫌いだった。正直に告白すれば、ハマるのがわかっていたので躊躇していたのだ。i-phoneで随分面白い写真が撮れることがわかったし、sonyのNEX-5を普段使いで使ってみてその楽しさに気づいたこともある。ただ問題は目だ。老眼。つまりどんなにテクノロジーが進んでも生身の「眼」には敵わない。残念ながらもう若い頃に戻ることはないのだ。これは仕方がない。

November 2, 2012

いつまでも弟子

最近の文章を読んでみると、起承転結の「起」くらいしか書いていないのがほとんどだ。というか、文章というほどのものも書いてない。怠惰の波に揉まれ流される毎日とはいえ、ブログを毎日書くという作業は、止めてみると分かるけれど結構な労働だったのだ。四の五の言わずに書くこと。それが意味がある。厳密な意味で毎日でなくても全然いいのだろうけれど、人間は弱いもので行動を止めた途端にサボるための理由をつけたがるものだ。

BCバンクーバーのPeter君。今日が日本の最終日ということで外来終了後に自由ヶ丘・八沢川へ。T先生&U先生にご馳走になってしまった。気を使わせちゃって恐縮です。今回、わざわざ日本での学会にfocusして真っ先に駆けつけてくれたのは、Peter君一流の優しさだろう。積もる話もあったんだけれど、とにかく彼と話ができただけでも幸だった。彼は抗癌剤化学療法のフェローから将来は専門医となっていくだろう。英語で「ご縁」の話をchanceとかopportunityとかfortuneとかで説明しようとして、まあソコソコのところで諦めた(笑)。彼にはわからないかもしれないけれど、すべてが「御縁」なのだ。「いつでもまた日本に来ます」なんて言っていたけれど、多分僕と彼と会うのは今日が最期。僕も彼もそれが判っているので、別れ際にバシッとしっかりとハグして、君に会えて良かったと。それを伝えられてよかった。ちょっとハード・ボイルドだけど。