だまって俺についてこい ハナ肇&クレージー・キャッツ
作詞青島幸男、作曲萩原哲晶
①
ぜにのないやっつあ
俺んとこへこい
俺もないけど心配するな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなる
だーろうーー
(ハア)
②
彼女のないやっつあ
おれんとこへこい
おれもないけど
しんぱいするな
みろよ波の果て水平線
そのうちなんとかなるだろう
(ハア、ハア)
昨日からの考察続き。
昭和40年台の世相というか、世の中全体の雰囲気っていろんな意味ですごい。一言で「すごい」という言葉で括ってしまうのは身も蓋もない話ではあるけれど、日本社会が若く活気があって、そのくらい未来に対してポジティブだったのだ。
①自分も金がないのに「俺んとこへ来い!」と断言してしまう
②じゃ、根拠とか自信があるのか?
③あるいは、何か打開策のテがあるのか?。。。ない(笑)
④実は「俺もない」とカミングアウト
⑤でも「心配するな」と。断言してしまう(爆)。
⑥「見ろよ青い空、白い雲」 えっ?????っと「はぐらかす」
⑦「そのうち」「なんとかなる」「だろう」ときっぱりと言い切る。
⑧最後の「はあ」
すごいな、これ。今改めて歌詞を読んでみて、いきなり熱気を感じた。日本の戦後高度成長期前半のいわゆる「昭和元禄時代」とか言われた時代。この超楽観主義の娯楽が大衆を動かしていた(というか世の中を動かす渦になっていた)。みんな脂ぎってテラテラしてる。
まだ当時は社会が混乱していたし、個人も心配事はいろいろあったけど、とりあえず(ここがポイントだ)何も考えす懸案事項は「無視」しましょう、って考え方。それも「皆でやれば勢いでいける」だろう(いってほしい)という根拠のない自信。戦後の焼け野原から復興していった日本人にとっては、一所懸命に働き金を稼ぎ、豊かになっていくことが唯一の(もっとも効率的な)幸せになるための方法だったのだ。つまり豊かになる過程そのものが戦後の生活だった。
だから、最後に「はあ・・」なのだな。その意味では無条件イケイケ、でないところが「哀しみ」があって面白い。ということで、その戦後高度成長期の消費生活の最先端世代でその美果を享受したのが、まさに我々の世代。これはどこかでその借りを返す必要はあるだろうな…などのつらつら。
海>水平線>湘南>なぜかクレージー・キャッツ>・・・上機嫌で行こう!と連想妄想