今回のクールの最終日。コントロール良好で終了。ありがたいありがたい。夕方からさとなお君、ともPが来てくれて病室で意見交換。今までのこと、これからのことなど、難しく考えずぎていたと思う。もっと気楽に自由に発信していけばいいのだ。というか、今まで何とか無理矢理にでも「形」にしようと拘り過ぎていたんだ…と気づいた。まさに一人相撲を取ろうとしていたのだね。そう考えると気分的にすごく楽になった。話を引き出してくれる彼らとの会話が楽しい。これからがさらに楽しみ。
今日の雑談より考察:
やはり1990年−1995年くらいがひとつのターニングポイントなんだと思う。たしかに携帯電話やメールで「個」が「個」と繋がり始めた事が大きいことは確かだ。大人が大人らしく、男女がそれぞれの役を演じ、先生は先生らしく、子供は子供らしく生き、それぞれの「場」があったと思う。確実に未来に向かっていく(はずの)時間軸から「それほどは外れることなく」僕らの時間は流れていた。ところが時間の流れのスピードが加速度的に増えたと同時に、自分の周囲に流れる情報量も個人が扱える量をいっきに超えてしまったわけだ。ここで僕が指摘するまでもない当たり前のことだけれど。でもその激変の時期にたまた居合わせてしまった世代。我々はやはり「携帯電話のなかった時代」の話になる。