助けあいジャパン

March 16, 2012

癒されたい社会

「癒されたい」気分が蔓延している社会だと思う。「癒し」がもて囃されるようになったのはここ10年くらいか?本来、癒すという言葉は自動詞で、「傷を癒す」とか「病気を癒す」という使い方をした。しかし今の時代、多くは「癒される」という受動態他動詞として使われる。それも無条件「いい意味」で使われることが多い。

癒されるのは「まず自分」で、癒されるに値するくらい自分が傷ついていることが「前提」となっている社会って、どこかヘンだと思う。本来の幸せな自分は「ここではない、どこか他の場所」にあるけれど今は仕方なくココにいる...みたいな「甘え」とも「言い訳」ともつかないような、根拠のない悲観的状況を肯定的に捉えている。人を「癒してあげたい」なら判るけど、皆が皆「癒して欲しい」って思っている状況はかなり気持ちが悪い。

そんなに安易でカンタンにに「癒されては」いけないものなのだ。碩学/鷲田清一教授が「死なないでいる理由」(角川ソフィア文庫)で指摘しているように、「癒される」ためには「癒されようのない」酷薄な事実に目を「背けないでいないといけない」(この三重否定って深い意味のある言葉だ)。つまり癒しは「自分にご褒美」的に安易に求めるものではなく、辛い体験を越えて初めて到達できる「安息の地」なのかもしれない。

震災で苦労された人たちのことを思いつつ、そんなことを考えた。
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