助けあいジャパン

March 7, 2012

愚痴の本当の意味

東京ルール当直中。釈徹宗「いきなりはじめる仏教生活」(新潮文庫)。著者は内田樹との対談が非常に面白かったこともあり、この本は以前から興味があった。しかし、この手の宗教関連本は時間的精神的な余裕が無いとちょっと辛い。ということで目次だけ読んで放置していたのだ。ところが読んでみたら巷にある仏教解説本の類とは全く趣きが違って読みやすいし、ある意味軽い。著者とは同世代的な価値観の共有感もあるし、書いてあることが解りやすく、さすが大学の先生だなという印象。この中で、いくつかインスパイアされる部分がいくつもあった。

「愚痴」というのは、「貪欲」・「しんに」(文字がない、いわゆる不寛容のこと)とともに、苦を生み出す三大原因の一つである。「愚痴」というのは本来は仏教用語で「メカニズムのわからないこと」・「仕組みのわからないこと」だという。現在の不平不満を言うこととは全然違う意味なんだ。

仏教では「理がわからないこと」で苦が発生するとすれば、本質がわかりメカニズムを理解すれば、苦しみは軽減する。いつも僕が使う暗闇のトンネルの比喩と同じか近いものの気がする。目から鱗。

人間は「愚痴」だから苦の連鎖に陥ると。ん?待てよ。

愚痴というのが「愚かで無知なこと」で、人間はみな愚痴だとすると、どうせなら「いくら考えてもわからないことに惑わされるな!」という意味にも読める。自分が勝手に作っていた「ある枠組み」を解体し、自分の「勝手な思い込み」とか「思い入れ」から解放されれば、人はどんなに楽になれるんだろう?とも読める。「どうせわかんないもんね、ウチら」って開き直ってしまうのもアリなんだろうか??

歩く禅もあるそうだ。お遍路さんとかも同じ。たしかに歩いていると一種の瞑想体験の気持ちよさと通じるものがあるもんなあ。自然に禅やってるじゃん>自分/w 当分は溜め込んだ仏教関連の本を読むつもり。


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