May 5, 2011
TMG医療支援チーム(4/29-5/3) ③:Day 3
5月1日Day3 朝イチで往診依頼があり、精神障害や身体発達障害のある人たちの避難施設である「はまなす学園」へ。もともとあった施設は海の近くにあり職員たちの必死の避難行動で約40人の入所者たちは助かったという。避難道は日頃の散歩道だったことも幸いしたと。隣にあった老人施設では動けない人も多く亡くなられた方は悲惨な事にほぼ全滅だったと。一般の避難所を経て廃業していたホテルを改装する形で避難福祉施設ということで移動したとのこと。大災害の混乱は、彼らのような社会的弱者をさらにツライ立場に追い込んでいる。発熱や咳などの症状の人が多い。集団生活なので感染症の流行は未然に防がなくてはならないので巡回の意義は大きい。午後からは山田南小学校の避難所へ。ここは小学校の講堂、武道場、保育園などいくつかの施設の集まった大きな避難所。プライバシーのない避難所生活も1ヶ月以上となると相当なストレスがあるのだろう。高血圧、不眠、などの相談多し。段ボールで囲んだだけの床に寝ているので、お年寄りだけでなく若い人の腰痛や肩こりも多い。
同行しているナースが避難所で「わー、XXさん、元気だった!」と再会する場面も多い。山田町はもともと小さな町なのだ。支援物資も多くあるが、ナースに打ち明けた若い女性の場合、支援物資の下着といってもそれをプライバシーのない場所で洗濯して干さなければならないのがツライと。ううむ、確かにモノだけではないのだなと考え込んでしまった。
悲しい話もたくさん聞いた。悲しすぎて涙が出るようになったのが何日もたってからだったという話もあった。人間って云うのは、あまりのも悲しく辛い現場に立ち会うと、その事実が信じられなくて「笑ってしまう」ものなんです、なんていう話も聞いた。四十九日が過ぎて、被災した人たちもやっと冷静に話が出来るようになってきたのかもしれない。各地から参加している精神科医や臨床心理士による「心のケアチーム」も活動している。これも大切な活動なのだけれど、ちょっと違った方向性で問題点も多い。このことについては、別項で書こうと思う。画像は一緒に巡回診療をしたナースの大越君と安部さん。医者としての僕の力が1だとすれば彼らの力は10だろう。そのくらい彼らの働きかけが被災者の人たちを癒している。自分で書くのもなんだけれど、素晴らしいチームだと思った。