May 5, 2011

TMG医療支援チーム(4/29-5/3) ④:瓦礫はゴミの山じゃない、ということ。


被災地に入った時の驚きもあり、「これは酷い」「ああ、なんてこった!」と様々な被災現場の写真を初めのうちは撮っていたのだ。被災者の姿は撮らないようにしようということは、初めから決めていたけれど、現場の状況については自分の記録にとっておきたかったし、被災地以外の人たちに少しでもその惨状を伝えたかったから。でも、ある時点でそれがどれだけの意味があるのか自分でもわからなくなってしまった。僕がいかに誠実に記録したつもりでも、被災の当事者からすれば「よそ者」が「高みの見物」で写真を撮っているとしか思えないんだろうな、と気付いてしまったのだ。それに、被災地に入って動き回ってみると、そのあまりにも大きなスケールの災害の傷跡にある意味「慣れて」しまい、感覚鈍麻になってそれほど驚かなくなってしまったということもある。人間あまりにも悲しい現場に遭遇すると笑ってしまうらしいということは前に書いたが、時間も経ち被災した人たちは意外にも明るい。「ここが家のあと。ここがお店のあと。散らかった商品には家の値札が付いていて、それをこれはウチのよーって拾ってね」なんて笑いながら言っている。うううむ。

現地のFM放送を聴いていたら、被災したリスナーからの怒りのメールを紹介していた。いわく、この連休で被災地に入ったボランティアの若者達が道路の脇に集めてある瓦礫の山に、自分達の持ってきたゴミを大量に捨てたというのだ。それを見かねて注意したら「せっかく助けに来てやったのに、感謝されずに怒られて心外だ。アンタらのゴミの山にウチらのゴミを捨ててどこがいけないの?」と逆ギレされたとのこと。見た目には汚い瓦礫の山でも、被災する前まではそこの人々の生活そのものだった大切なモノなのだ。つまり要らなくなって「捨てたゴミ」とは根本的に違う。行方不明のご遺体もかなりの数そこに埋まっているかもしれない。だから、このリスナーの怒りと心情は理解できるし、心ないボランティアの若者たちの態度には本当に腹が立った。つまり我彼の立ち位置の違いだけではなく、感性の問題なのだと思う。このFMの話を聴いて、自分がいつのまにか善意を押し売りするような傲慢なよそ者になっていないか?と自問した。

画像はボランティアが持ってきてくれた、病院にたなびく鯉のぼり。この人たちは本物の(笑)ボランティア。