助けあいジャパン

August 6, 2010

若い頃の恋は成就しない(ほとんど)

今夜はあるシークエンスの作詞をしている。「携帯電話のなかった時代」のアンサーソングというかパート2。言葉を捜して想像の世界を浮遊している感じ。この曲に関しては、書きたい事がたくさんありすぎてフォーカスできてないのが問題なのだな。

先日のじょうじ君とのセッションで曲想はほとんど出来上がっていて、どんな感じの曲になるか朧げな全体像が決まっているものの、歌詞の「立ち位置」がイマイチ定まらないというか、僕の視線があっちこっちにいってしまい、最終的な場面がまだ見えてこないのだ。この「もどかしい感覚」ってモノを創る人たちにしかわからないであろう「痛(いた)気持ちいい」感じ(笑)なのだけれど。今週末には完成して、新しいCDには入ることになるかな?

人を好きになる。恋をする。好きになった異性を憶う気持ちの「せつなさ」とか「ひたむきさ」って未熟な若者特有のものだと思う。それを美化して「若い時の恋=ピュアな感情」と書きたい所だけれど、実際にはかなりどろどろしたもので、実に「みっともなくてかっこ悪い」ものなんだ。若者の恋愛にも「打算」だってあるし「見栄」だってある。でもその根底にある「自分への自信のなさ」とか「将来への漠然とした不安感」とか「自分が傷つく事への恐怖感」とか「恥ずかしさ」とかがあるもんだから、「せつない」わけだ。「自分」に対して。「常識」や「分別」や「建前」や「逃げや言い訳を用意する狡さ」という名前の「モラル」とか「エチケット」を身につけた大人のソレと比べると、ほとんどのケースで「情けない結末」とになる。つまり若い頃の恋は必然的に成就しないものなのだ。昔の自分を思い出して「ぎゃ!」と恥ずかしくて絶叫しそうになった(爆)。

作詞する時の僕の「詩の世界」は「自分の体験」であることはむしろ稀で、全く別物であること(願望や妄想も含めて>爆)が多い。そのまんまでは恥ずかしすぎるのだ。以前に作詞家のかぜ耕士さんと話しをしていて「詩を書くという事は精神的なストリップだ」みたいな話を聞いたことがあるけれど、まさに至言だと思う。
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