May 7, 2010
i-padは新世代Digital Kidsの"Incubator"か?
こーめい先生の娘さん(眼科医)が学会でフロリダに行っていて、明日帰国予定。I-padを向こうで入手して持って帰ってくるそうな。今日の彼はおもちゃが待ちきれない子供みたいだった(笑)。i-padについては、何がどうスゴいのか?ということについて、いろんなメディアで云われているし、すでにアメリカ国内から持ち込まれた物を使っている人たちからの意見がネットで読めていて、なんとなく判った気でいるけれど、実際のところ使い勝手はどうなんだろう。
僕が現時点で想像するに・・・イメージとして「大きな本棚」。テキストや画像、場合によっては動画や音声などのコンテンツをどんどんネット上に保存できるわけで、個人史そのものをあの機械で「持ち運べる」ことになる。これは革命的な事だ。オギャーと生まれて今まで彼、彼女が読んできたもの見てきたもの聴いてきたもの・・・のアーカイブを持ち検索しブラウズすることが出来るという事なのだ。初めて読んだ絵本をいつでもどこでも読めるとしたら・・・以前書いたことのある「物理的メモリーの中の人生」が現実になるということではないか?
もちろん生まれて時からi-podがソコにあるDigital Nativeの子供達(つまり僕らの孫の世代)の人生の話ではあるけれど。
バーチャルとリアルの境目が確実に変わる。人生の時間軸の考え方が変化する。すっげーこった。
江戸時代の人たちに「携帯電話の便利さ」は説明すれば或る程度想像はできると思う。江戸に居る熊さんが大阪にいる八っつあんと話が出来るという「彼らからすれば信じられないような」便利さ。でも、それを彼らが理解して使いこなせるかどうかは別問題だ。たぶん既存の価値観をそう簡単に変えることが出来ない年齢の人には難しい。その文脈で考察すれば、僕はたぶんI-padの便利さが想像できても、その潜在的な能力を使いこなせるかどうかは判らない。いまだに携帯電話の機能だって十分使いこなせてないもん(笑)。
しばし様子見。興味津々。