July 15, 2013

「ならぬものはならぬ」と、ぶれない

八重の桜も、戊辰戦争で前半のヤマ

本来は京都守護職であった会津が
オセロをひっくり返したように
朝敵とされた悲劇
この辺りの歴史は複雑で
いまだに僕は理解できない。

はっきりしていた事は
大混乱のなかで
日本人が
敵か味方かはっきりしない戦いを
強いられていたことだ。

殺しあったり、憎しみあったりする
欧米の戦争の歴史とちがい
日本の民は
みんな仲良く
慎ましく生きて来たのだ。

そもそも、考えてみれば
手紙くらいしか情報伝達の方法のない時代に、
どうやって「戦う」のか?
戦う相手さえ正確にわからないではないか。

「ご一新」の世であっても
明治初期までは
名前や立場を変えて
全然別人として生まれ変わることが
わりとあったらしい。

国内の戦の最中でも
庶民は冷静に
「この戦、どっちについた方がよかべ〜か?」と
クールに構えていたらしい。

つまり、どの視点で見るかによって変るのだ。
従来の薩長中心の歴史観は、
かなり歪んだものだった。
江戸の民は、新しい為政者となった
薩長中心の明治新政府を
田舎者とバカにしていたことは
有名な話だ

さらに興味深いのは、
一般庶民の「市民意識」で、
あの当時の日本の民度は
世界に冠たるレベルであったことだ。

資源の無い、極東の島国が
欧米の列強と対等に戦えるところまで
発達できたのは
その根本にあったのが
教育システムだった。

「読み書き算盤」の出来る聡明な人々
「ならぬものは ならぬ」と

ぶれない価値観
誇りを守る文化

大人、男、女、子供  
それぞれの「規範」と「モデル」があり
目指すところが「道」として明確だった。
だからぶれない。
ぶれさせない。

良い悪いとか、
正しい間違っているは
別として、
昔の人たちは
矜持を持って生きていた。

立派な日本人。