May 27, 2013

みんな苦手(?)な英語について

正直に告白すると
どうして多くの人が
英語での会話に苦労するのか
みんな英語で会話しないのか
不思議だった。

慎重に書かないと
誤解されると思うけれど
僕には英語でのコミュニケーションが
苦ではなかったから。

中学生は中学生のレベルで
高校生は高校生のレベルで
必要にして十分なものだった(はず)なのだ。
これだけレベルの高い高等教育を受けている日本で、
英語が話せないのは逆にどこかおかしいって思っていた。

僕にとって英語は練習することにより
自然に言葉になった。
英語のオウム返しが普通にできたし
子供の頃からわりと日常にアメリカがあって、
英語が近かったこともある。
学校の科目として勉強するのも得意だったし、
テスト勉強も全然苦ではなかった
知識はどんどん入って来た
新しい言葉を憶えるたびに
すっと耳に入ってきた。

好きな科目だから
点も取れる
成績がいいので
自信を持つ
この好循環

ある時期かなり集中的に勉強したことは事実だ。
大学時代は英語漬けの生活の時期もあった。
辞書を引く(今の時代ならスマホ?)労を厭わないこと。
必要に迫られて医学英語は訓練した。
医学書翻訳のアルバイトは一石三鳥だった。
英語のメモとノートは自分だけの宝物だ。
ある時点からは努力しかないことは事実。

結局、語学の習得は
勉強ではなく
練習であり訓練なのだ。

みんな100%コミュニケーションをとっているつもりでも、
そんなことはありえない。これは日本語でも英語でも同じ事だ。
その言語で考える事は、ある程度の訓練で自然にできるようになる。
そのスイッチを自分でコントロールできるかどうか?

そして、本当に大切なのは
わからない言葉が入って来ても
決して諦めず「思考を止めない事」。
これが一番肝要なのだ。
「ああ、わからない!」と
思考を止めてしまうと
その先はない。

ちょっとしたコツで
それは可能となる。
あ、このコツについて本を書いたら
結構ウケるかもしれない(笑)
さはさりながら、、、

最近は錆び付いているが、
スイッチが入った時は
自分でも別人(別キャラ?笑)になってしまう。
たしかに、あの頃がピークだった。

英語力はボキャブラリーは
その後も上がる余地があるが、
ある程度までで、それ以上は上がらない。
LAでもNZでもスランプはあった。

世の中には「英語屋さん」も多い。
大切な事は、英語で仕事をする事であり
英語の仕事をすることではない、という
アタリマエの事実。

ある程度までのレベルになれば十分で
完全なmother tongueの人の方が
むしろ少数派なんてことも知り
ふいぶん気楽になったものだ。

自信と不安のケイオスの中で
のたうち回っていた
ああ、若かりしあの頃。