自分が今まで経験した大きな変化は、やはり東京オリンピック前後か。社会生活すべてが変わったと言っても過言ではない。都電はいつの間にか無くなてしまい、バスにかわり、さらに田園都市線となった。都市の風景や空気が変わる大きな要素は、その構成物の動いているスピードなのかもしれない。テレビジョン文化、大量消費文化。
昔から新宿はダサくて田舎臭い街だった。もともと猥雑な宿場町の空気が今に至るまで続いている。つまり余所者の街であり、我々は逆に中に入れない。そういうパワーがあるのだ。渋谷は新宿とはちょっと違ってた。とはいっても、ダウンタウン渋谷(いわゆる渋谷の街、センター街とか)は、もともとはおしゃれとは程遠く、おっさんたちの飲み屋街&色街だった。これは「Time Frame」の歌詞の通り。まあ特に用事がなければ足を踏み入れない場所だった。東急本店、東急文化会館(映画、演劇たしかケロヨンとか演ってた)、プラネタリウムぐらいだろうか。戦後日本の娯楽の王道を身近に感じつつ僕らは育ったことになる。
画像は渋谷駅周辺のジオラマ 1964年(東京オリンピック)
向谷実さん監修 制作者(プロデュース)
2013-3-24 制作者の富澤瑞夫さんより連絡をいただきました。
制作されたのは、富澤さんでした。訂正しお詫びいたします。
富沢 瑞夫
http://homepage2.nifty.com/mtomisan/page046.html#brari
自分では作る能力も自信もないけれど、ジオラマって大好き。
2013-3-24 制作者の富澤瑞夫さんより連絡をいただきました。
制作されたのは、富澤さんでした。訂正しお詫びいたします。
富沢 瑞夫
自分では作る能力も自信もないけれど、ジオラマって大好き。
青山、表参道、原宿辺りは当時からおしゃれで、子供を寄せ付けない気取ったことろがあった。親戚のアメリカ人一家が表参道に住んでいて(青山周辺はアメリカ軍属が多く住んでいた)あの雰囲気は好きだったけれど、やはり「余所行き」「気取った感じ」があった。僕の知っている表参道は静かで夕方になるとガキたちが缶蹴りで遊べたのどかな時代なのだ。
僕らが歩き回るようになるのは、高校生以降で、そのころから原宿・表参道独特の雰囲気があった。渋谷のパルコのオープンがひとつのキッカケっだと思う。ぼくらの高校生のころの行先は、やはり公園通りから代々木公園、そして大学生となり表参道、青山通りへと向かう。
1975年以降の変化はいうまでもない。高度成長期と相俟って、街自体が随分変わった。渋谷は懐かしい&甘酸っぱい思い出が詰まってる(これは同年代の男も女も、一緒だろう)
大感激のコンテンツを発見した。というか以前発見していたけれど失念していた。
http://homepage2.nifty.com/mtomisan/page046.html#brari
1960年代のコンテンツ
http://homepage2.nifty.com/mtomisan/
作者は少しだけ上の世代の方か?