来月で1年経つ。本当に時の経つのは早い。ずーっと懸案だったエンディグ・ノートをまた書き始めてる(当分は非公開予定)。
様々なことが解ったつもりでも、全然わかっていなかったことが判ったり、日常生活のふとしたことで様々な気づきがあって、小さな幸せがいかに大切か涙を流したり(本当です、ボクらしくないけど)。一言で言えば生きていることにセンシティブになってる。
昨年秋のパーシモンホールでの講演会ではボクの伝えたいことのほとんどは伝えられたと思う。でも時間が経過したことと、今後の新しい治療の方向性も出てきたこともあって、正直に言うと「心がわさわさした」のだ。もっとはっきり言えば「長生きしたい」というスケベ心が出てきたのだ。
そういう感情もカミングアウトしてみれば、また安寧な心境になれる。つまり人の心というものは一旦覚悟を決めたとはいえ、死ぬ瞬間まで揺れるものなのだ。
ちょっと恥ずかしくて、みっともないけれど、それも自分。この心境を記録として残しておくべきだと思った。死を前にした心情なんて、その時になってみないと誰にもわからない。偉い坊さんだろうが、聖職者だろうが、哲学者だろうが、極悪人だろうがみんなチャンスは同じだ。どんな人も必ず死ぬのだ。
医師としてのクールな見方や考え方。数年前からエンディング・ノートが流行ってるとの記事をみた。自分はどうせそんなに遠くない未来にそこに往くので、まだもう少し先でいいやと思っていてけれど、人生50年過ぎたら、エンディングを見つめるツールは持っていたほうがいいかも知れない。今更だけれど、どの人の人生でも時間は有限で、後戻りはできない。天邪鬼なので市販のものを使う気がしないけど。それから、自分が悲劇の主人公の闘病記も書く気はない。
ということで、ブログと別枠で少しずつエンディング・ノートを書き始めてます。
それから、以前から懸案のEpitaph(墓碑)プロジェクトも、今こそ進めるべきだと考えてます。(コレは業務連絡ね>笑)