December 5, 2012

カンクローさん

毎朝のことだけれど、彼からは育ちの良さが滲み出ていた。
いつものバス停で出会うと、彼は必ず僕らにもニコッと笑って会釈をした。
彼は石切橋のバス停から九段の暁星に通っていて、僕ら(僕とじょうじ君)は、千代田区にある中学校に通学していたのだ。

僕らにとっては近くに住んでいる有名人の「カンクロー」だった。子供の頃から超有名人。その彼はいつもニコニコしていた。思えば子供の頃から大人の世界で生きてきた彼にとって、普通の振る舞いをできる僕ら(近所の子供達)は貴重な存在だったのかもしれない。

小日向の坂の途中にある波野家の「御殿」
いつも歌舞伎の稽古の音が流れていた。

僕らは友達というほど親しくはなく、会えば一言二言交わす程度の「知り合い」だったけれど、同世代の有名人として常に意識していたと思う。芸能界のニュースで彼のことを知れば、自分のことのようにも感じたものだ。その後、彼が歌舞伎界を牽引する重鎮になっていったことは知っていたが、歌舞伎役者として脂の乗り切った時期を過ごしていると、勝手に思い込んでいて、最近体調を崩していることは知らなかった。

中村勘三郎さん、12月5日午前2時33分、永眠。享年57歳。
ご冥福をお祈りします。