July 31, 2012

アスリートたち

ロンドンオリンピック。ひたむきで一所懸命でそれぞれの高みを目指すアスリートたちの姿は美しく感動的だ。自分の持つポテンシャルを試合の瞬間に最大限まで高めて、競い合い勝負する。この年齢となり、そこそこの人生経験を積んできて、酸いも甘いも十分噛み分けられるようになると「信じるものは自分と自分の身体」というアスリートの潔さと純粋さが眩しい。いいなあ、元気で健康なことは素晴らしい。普段健康なときには見えないことがクリア見えてくる。

ほとんどの選手がほぼ例外なく「夢をあきらめないでここまで頑張ってきてよかった」と言う。また振り返ってみて、あの時夢を諦めてしまっていたら、ここまで来ることはなかっただろう…と言う。つまり、そのくらい頑張り続けるということが、いかに困難なことか?ということだ。オリンピックのアスリート達でさえそうなのだ。

自分の人生を振り返ってみて、だれでも必死になって無我夢中で没頭したことがあるだろう。どうしてあの時あそこまで頑張れたのか自分でも不思議なくらい。
ではどうして諦めずに頑張れたのか?

人生の意味、意義、
その人の与え得られた使命、ともいえるか?
それが神様の裁量なのか?

事を成すか為さないかの境目は、そこにあると思う。

July 30, 2012

昭和時代の超楽観主義

だまって俺についてこい ハナ肇&クレージー・キャッツ
作詞青島幸男、作曲萩原哲晶


ぜにのないやっつあ
俺んとこへこい
俺もないけど心配するな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなる
だーろうーー
(ハア)


彼女のないやっつあ
おれんとこへこい
おれもないけど
しんぱいするな
みろよ波の果て水平線
そのうちなんとかなるだろう
(ハア、ハア)

昨日からの考察続き。
昭和40年台の世相というか、世の中全体の雰囲気っていろんな意味ですごい。一言で「すごい」という言葉で括ってしまうのは身も蓋もない話ではあるけれど、日本社会が若く活気があって、そのくらい未来に対してポジティブだったのだ。

①自分も金がないのに「俺んとこへ来い!」と断言してしまう
②じゃ、根拠とか自信があるのか?
③あるいは、何か打開策のテがあるのか?。。。ない(笑)
④実は「俺もない」とカミングアウト
⑤でも「心配するな」と。断言してしまう(爆)。
⑥「見ろよ青い空、白い雲」  えっ?????っと「はぐらかす」
⑦「そのうち」「なんとかなる」「だろう」ときっぱりと言い切る。
⑧最後の「はあ」

すごいな、これ。今改めて歌詞を読んでみて、いきなり熱気を感じた。日本の戦後高度成長期前半のいわゆる「昭和元禄時代」とか言われた時代。この超楽観主義の娯楽が大衆を動かしていた(というか世の中を動かす渦になっていた)。みんな脂ぎってテラテラしてる。


まだ当時は社会が混乱していたし、個人も心配事はいろいろあったけど、とりあえず(ここがポイントだ)何も考えす懸案事項は「無視」しましょう、って考え方。それも「皆でやれば勢いでいける」だろう(いってほしい)という根拠のない自信。戦後の焼け野原から復興していった日本人にとっては、一所懸命に働き金を稼ぎ、豊かになっていくことが唯一の(もっとも効率的な)幸せになるための方法だったのだ。つまり豊かになる過程そのものが戦後の生活だった。


だから、最後に「はあ・・」なのだな。その意味では無条件イケイケ、でないところが「哀しみ」があって面白い。ということで、その戦後高度成長期の消費生活の最先端世代でその美果を享受したのが、まさに我々の世代。これはどこかでその借りを返す必要はあるだろうな…などのつらつら。


海>水平線>湘南>なぜかクレージー・キャッツ>・・・上機嫌で行こう!と連想妄想

July 29, 2012

海に癒された

今回のクールは、コツを覚えた、というか、すごく巧く「往なせた」感じがする。
ありがたい。

斎田キャプテンの計らいで、今日は朝から彼の秋谷海岸の美しい海岸線にある快適なマンションへ。まさに真夏のキラキラ輝く水平線を眺めながら、心身ともに今日はリフレッシュさせてもらった。尚子、娘たちも大喜びでクルージングに。じょうじ君の絶品餃子(本当に素晴らしい!)にも舌鼓。ふみくんから有季子へのアドヴァイスも貰えたし、皆のんびりさせてもらし。いつもながらの彼のホスピタリティと心遣いに感激する。

以前から、僕らには「海を見ながらレコーディング」するという「夢」があったのだけれど、ここはまさに理想的な環境。斎田くんと話していて、本当に実現に向けてやってみようか、という話になった。想像するだけでワクワクする。創造する気持ちが出てくると、それだけで力をもらった気がする。帰路、奥沢まで送ってもらい皆で泰興楼て排骨麺で〆大満足。うまし。体調も絶好調&上機嫌。

July 27, 2012

たまたま居合わせてしまった世代

今回のクールの最終日。コントロール良好で終了。ありがたいありがたい。夕方からさとなお君、ともPが来てくれて病室で意見交換。今までのこと、これからのことなど、難しく考えずぎていたと思う。もっと気楽に自由に発信していけばいいのだ。というか、今まで何とか無理矢理にでも「形」にしようと拘り過ぎていたんだ…と気づいた。まさに一人相撲を取ろうとしていたのだね。そう考えると気分的にすごく楽になった。話を引き出してくれる彼らとの会話が楽しい。これからがさらに楽しみ。


今日の雑談より考察:
やはり1990年−1995年くらいがひとつのターニングポイントなんだと思う。たしかに携帯電話やメールで「個」が「個」と繋がり始めた事が大きいことは確かだ。大人が大人らしく、男女がそれぞれの役を演じ、先生は先生らしく、子供は子供らしく生き、それぞれの「場」があったと思う。確実に未来に向かっていく(はずの)時間軸から「それほどは外れることなく」僕らの時間は流れていた。ところが時間の流れのスピードが加速度的に増えたと同時に、自分の周囲に流れる情報量も個人が扱える量をいっきに超えてしまったわけだ。ここで僕が指摘するまでもない当たり前のことだけれど。でもその激変の時期にたまた居合わせてしまった世代。我々はやはり「携帯電話のなかった時代」の話になる。

July 26, 2012

御恩返し

来週から1ヶ月間イギリスのYorkから医学部の学生3人が臨床実習の予定。今回の僕の病気のことで計画自体をキャンセルすることも仕方ない状況だったけれど、昭和大学と神津先生が代わりにサポートしていただく事になった。今日の午後は神津先生が来院して打ち合わせ。今回は神津先生のクリニック、永生病院の安藤先生、伊藤病院の伊藤先生、島津先生のクリニックにお世話になることになった。これまで奥沢が海外の医学生を受け入れきた実績(11人)あってのことだろう。

もともとは、2000 年暮れに(本当に「御縁」だと思う)イギリスのマンチェスター大学からMark Ashton君を受け入れたことがことになったのが始まりだった。
http://sandgem.blogspot.jp/2008/10/mark-ashton.html
http://sandgem.blogspot.jp/2010/08/blog-post_26.html
etc
海外から医学生を受け入れることで自分自身を高めて刺激になることが一番だが、病院スタッフや日本の学生さんたちにも刺激にになることが僕としては一番うれしい。

弟子のMarkのことはここでも何回も書いている。彼の結婚式に有季子と出席したし、紗仁子はシェフィールドでホームステイを経験した。日英でお互い遠くはなれているのだけれど、その心の絆は温かく深いものだ。今回のことも彼は非常に心を痛めているみたいだ。
日本、アメリカ、ニュージランドでそれぞれの国で医師をやり、医師としての経験と知識をそれぞれの国の現場で学んできた僕としては、これまでの「恩返し」の感覚で若い医学生たちの助けになれば、と思う。体調を見ながらできる限りでサポートさせていただくつもり。

July 25, 2012

上海焼きそばLove

化学療法中の常でここ数日は終日眠い。しかし薬のコントロールが効いてお陰様で吐き気がないのが有難い。最近の2週間くらい、微妙な味覚異常があって(味が異様に濃く塩辛く感じる)これも少しづつ改善しているみたいだ。放射線照射と化学療法の副作用だけでなく、たぶん微量元素のアンバランスなんだろう。食事が美味しく感じないとすべてのモティベーションが下がってしまう。その意味からここで食欲が戻ってきたのは有難い。ほんの2日前の苦しさが嘘みたいだ。そんなこんなで現在「上海焼きそば」を妄想中。シンプルなのがいい。画像は状元楼。行っちゃうかな?行けるかな?
気持ち先行だな(笑)

July 23, 2012

地獄の底から沸き上がってくる吐き気

早朝空腹時内服、ということで今回のクール開始。ところが直後から…
今まで経験したことがないような「地獄の底から沸き上がってくるみたいな吐き気」が直撃してベッドから動けなくなってしまった。突然どっかーんという感じ。体調も関係あるんだろうけれど、吐き気が持続的で気持ち悪いだけでなく、身体から力を抜き取れれてしまったような虚脱感がある。前のクールの経験から今回はここまで辛いとは想定外だった。午後から制吐剤が効いてきて、やっとひとごこちついたけれど、今までほとんどベッドから動けず。今週は耐えるしかない。やれやれ。
===
追補
↑と書いたら、さっそく多くのご心配のメールとFBメールをありがとうございました。夜になって少しづつ空腹感が。伊平先生からの差し入れで、なんと「冷やし中華」が食べれれました(笑)。大丈夫です。ご心配なく。


FBでネガなメッセージはだめだなあ。反省!

July 22, 2012

ラスト3回

腹筋とかスクワットとか、坂道ダッシュ(懐かしい!笑)とか、あーもうダメだあ…もう限界だと思っても、あと3回は続けられるものだ。その「最後の3回」ができるかどうか?限界を感じてからどれだけ頑張れるか。そしてこの真摯な努力に対して、神様はわりとシンプルに比較的平等なチャンスを与えてくれていると思う。


ただし万人に用意されているのは「そこまで」で、そこから先については自分で切り開いて生きていくしかない。「大人になる」という過程とは、まさにそういうことで、挫折とか蹉跌の痛い経験を通して「バランスをとっていく」ことなのかもしれない。

July 20, 2012

コップの水

入院中ではあるけれど、点滴などがないためリハビリを兼ねて今はできるだけ動くようにしている。何ができないか?ではなく、何ができるか?を考えて動くほうがずっと精神衛生上いいし。今日の午後は部屋でペーパーワーク。色々と見ていたら結局書棚を整理する事になってしまい、アメリカ時代の学会発表や論文、ランセットの論文など、ニュージーランドの講演原稿とか、スライドとか…昔懐かしい仕事に時間を忘れた。ああ、あああ、懐かしや。これも少しずつ整理して置かなければ。

入院後のブログはどうしても体調のこととや病気について書くこと事が多くなってしまう。まあ、当然といえば当然だけれど、それまでの「普通のブログ」にできるだけ戻したいと思った。どんなものを食べたとか観たとか、そういう他愛のない日常って本当に大切なんだ。闘病記ばかりだと息が詰まってしまう。少なくともその努力はするべきだろう。今朝Glioblastoma関連の記事を教えてもらい、その流れで一般公開されているブログを垣間見る(あんまりちゃんと読んでいない:辛くなるから)ことになり、さらに意を強くした。よく言われる喩えだけれど、コップの水を「もう半分しかない」と感じるか「まだ半分残っている」と感じるかは本人の考え方だ。その意味からも、9月に画策中のレクチャー(?というか)について今熟考中。

July 17, 2012

早っ!もう3ヶ月

病床に伏してから3ヶ月。長かった気もするけれど、今でも現実感がなくて夢の中の出来事のような感じもする。自分でも一区切りつけてリフレッシュする意味で、入院してからはじめて朝礼に参加することにした。温かく迎えてくれるスタッフの気持ちが嬉しい。ありがたやありがたや。

今でも体調に波がある。今の自分に100%のパフォーマンスを求めるのは難しい。「いい時」を待っていると「大切な時間」をロスするリスクがある。もちろん今までも自分でわかっていたつもりだったが、認めくなかったというのが本音。でも、そんなに悠長なことを言っている時間はないのだ。自分に残された時間をクールに見つめ直し、出来ることから進めていかねば。来週には新しい化学療法のクールが始まるし…・

July 16, 2012

生きるためには食べないと

実は先週くらいから実は味覚障害が出ている。1週間くらい前から味がなんとなくおかしいなあ…と感じていたのだが、先日はっきりと自覚した。醤油味、塩味などすごく濃く感じてしまう。なんとなく苦味もある。だからご飯が美味しくない。ごはんを美味しく食べることが、ある意味「生きがい」である僕としてはかなり深刻な悩み。放射線療法が終了してからもう1ヶ月経過したし経口の化学療法なら大丈夫だろうとタカをくくっていたんだ、実は。一時的なものであれば助かるんだけど…うーん参ったな。

July 15, 2012

うれしいサプライズ

大学の同期会。卒後30周年(!)ということで、僕が幹事をすることになっていたのだ。ところが病気が4月に発覚してその後はバタバタとなってしまい、急遽幹事を交代をお願いすることに。快く幹事を引き受けてくれたS君、Yさん、Kさん感謝です。

化学療法の影響もありなんとなくフワフワとした浮遊感とか眩暈感、耳閉感とかがあって、実はドタキャンになるかも…という不安感があったのだ。直前まで病室で横になっていて、尚子に迎えに来てもらい自由が丘の会場へ。懐かしい同期の面々と再会して懐かしいひととき。元気で参加できたこと「だけ」でも僕としては十分幸せなことだったのだ。

ところが、ここからが彼らの真骨頂だった。
会が始まり登場したのはなんとハックルのメンバー!!じょうじ君、さくちゃん、ともP、ねずさん…いつももメンバーがニコニコと、そこにいるではないか!


唖然とする僕の前で隠してあった楽器やPAや機材が展開される。まったく予期していなかったので(ただでさえボンヤリしている)困惑した頭の中でクエスチョン飛びかってスパークした。たぶん、僕の知らない間に事前に何回も打ち合わせをしてくれて準備をしてくれていたんろう。彼らの気持ちが嬉しくてうれしくて…感無量。


「携帯電話のなかった時代」
「Downtown down」
「猫目地蔵」

を演奏させてもらった。
「みんなで、その場に居られる」ことに、感激して泣きそうになった。
ああ、なんという至福の時間!

出席者全員のスピーチもあって、素晴らしい会になった。
ありがたいありがたい。

July 11, 2012

呵々と笑えるか?

今回のクールの「余韻」というか「残響」が予想以上に大きくて、無為にダラダラしている時間がどうしても多くなってしまう。このペースに慣れるしかないということも、発症から3ヶ月経って学んだ(体感した)。もともと、せっかちで貧乏性で、いつも「何かやっていないといけない」という強迫的不安感があったと思うのだ。


以前は「ま、いっか…的な適当さ」に対して、かなり懐疑的というか否定的なところがあった。特に仕事に関しては。自分は生き方というベクトルに対して生真面目で融通が利かない。適当そうに見えてもわりと実際には細かく繊細。だから「どうせやるなら突き詰めてベストをつくす」ほうが気持ちいいし気分がいいと思っていた。今でもそれはそのとおりだと思う。


でも一方で、努力と成果が必ずしもパラレルの関係ではないことも、人生には不可避なアクシデントやアンフェアなトレードがあることも(もちろん痛みととも)十分学んだ。


所詮「幸福」は測れるものでもないしプラスもマイナスもそんなに差はないのだ。それを知り、僕は精神的にスッと楽になった感覚がある。今まで自分の抱え込んできた様々な重荷を一枚一枚剥ぎとっていって軽くなって開放されてゆく感覚、というか。

まだ悟りの境地には程遠いけれど(笑)

July 9, 2012

人生を肯定的に情熱を持って俯瞰できるか?

昨日くらいからやっと前回のクールの影響が治まってきた。約2週間か。この期間の不快感と倦怠感、作業効率の悪さ(終日ぼーっとしている)には慣れるしかないんだろう。想定内。昨日は外泊してリフレッシュした。

ブログに日々の出来事や感じたことを書くとどうしても「闘病記」的なことになってしまうので、今までは意識的に(できるだけ)避けていたけれどバランスはたしかに難しい。あまり難しく考えないでいろんな観点から記録をとっておく方が結果的にはいいのかも。動ける時に動くのが大切なのだ。いい時にやるべきことをどんどん進める。大切な時間は限られているのだと再認識する。

今夜「情熱大陸」ヤマザキマリさん。さとなお君の友人でここ数年で大ブレークした人。17歳からずっと海外で自力で人生を切り拓いてきたと。ユニークな人生。まさに波瀾万丈なんだけれど、本人は飄々と人生をエンジョイしているのが素晴らしい!
つまり人生をエンジョイするということはこういうことなのだ。

彼女のように自分の人生を肯定的に情熱をもって俯瞰し、語れるか?
自問している。


July 3, 2012

ドヨよ~ん週末は越えたか

2回目の化学療法6/25-6/29。経口だし元気もあったので、自分としては楽勝だと思ったのが、ちと甘かった。この週末は自宅で静養、というか動けず。元気だった後だけに、その反動でドヨよ~んとなってしまった。耳鳴りと耳閉感があったり、な~んとなく脳圧が高い感じがする。それも体位とか姿勢で微妙に変化する。

週明けから7月(!)なので区切りよく再起動したかったんだけれども仕方ない。先が読めないのと、本人以外にはあまり症状が目立たない。とまれ、昨日くらいから少しずつ復調の兆し。

そういえば、術後ほぼ完全になくなって良くなっていたdyslecsiaが、週末からまた再燃。でもこれも時間とともに落ち着いたみたいだ。濃厚恋しい、じゃなくて、脳圧亢進の、メルクマールにはなる感じ。

ということで、精神的にもLow moodなので文章を書く気にならなかった。ああ、そういえばTEDでinspireされたアイテムにいくつか出会った。別稿にて。