今「ケータイ」というのは「電話」のことであり、老若男女ひとり一台が当たり前だ。個人用のコミュニケーションツールとして「固定電話」より「携帯電話」のほうがメインになったのは、5年くらい前のことだろうか?2005年の冬(つまり7年前だ)に「携帯電話のなかった時代」という歌詞を書いた。今になってみると、「携帯電話」という言葉さえ、もはや「古臭い」タームに思える。「携帯電話のなかった時代」の状況設定が、たぶんあとさらに5年もすれば若い世代にとって、スゴく古臭くてアリエナくて、もどかしいものに思えるんだろう。まるで僕らが大正時代の小説を読んで奇妙なもどかしさと恥ずかしさを感じるみたいに、彼らも寒い冬の夜に女の子の声が聴きたくて電話ボックスに走る男の子の姿を「バカじゃね?」なんて思うんだろう。そもそも、「電話ボックス」という言葉とか「震えながらダイヤルを廻す」なんて、言葉自体が理解不能かも知れない(笑)。
さらに、「ケータイ」がさらにスマートフォンに進化して、「会話をする」ためのツールはごく一部の機能になってしまった。テレビ電話で相手とよりリアルなコミュニケーション(なのか?)が可能となり、不特定多数と音声、動画、クラウドでデータの共有ができるようになった。若者の恋愛の本質が変わる筈がないので、この時代の恋人たちは、ある意味可哀想なのではないか?と、今夜プラットフォームで「いちゃいちゃしている(死語!<笑)」若いカップルを観て思った。負け惜しみじゃなくて(笑)。