女子供が喜ぶ顔が観たくて(そのために)一所懸命頑張るようにDNAがプログラムされている。古今東西その真理は変わらない。男性優位社会なんて威張っていても、そもそもその男を生んだ母親がいるわけで、男は女の許に生まれ育てられる。つまり父親なんてものは、自分のDNAを紡いでくれた妻や子供のための「消耗品的道具」でしかないといえる。身も蓋もない言い方をすれば、自分を育ててくれた子宮とおっぱいにはどんなに威張ってる男も絶対に敵わないものなのだ。過去の歴史で男性優位社会なんていっても、結局はそれを裏でコントロールしていた女達がいたわけで、これは抗いようもない真理なのだ。
あ、妻と姑の問題ってのは、この辺りに根本的な原因があるのだな。
で、女が幸せになるためには「いい伴侶」との出会いは非常に大切なことは自明。しかしココで云う「いい伴侶」というのは二人で暮らし始めてた最初の時から居るもんじゃなく、「女が育てる」ものなのだ。「初めからその男がいい伴侶である」と思ったとすればそれはその女の勘違い以外の何物でもない。男と女は初めから「全く違う見方をする」という「立ち位置」に立たないとうまくいく訳がない。
男も女もその意味では対等なのだけれど。
男も女もその意味では対等なのだけれど。
で、本題に入る。
我が娘たちよ、これは憶えておいて欲しい。
「自分が幸せになりたかったら、一緒に暮らす男を褒めて育てろ」
生活の中で、たとえ男がとんちんかんなことを云ったりやったりしたとしても、バカみたいに子供っぽいワガママや理不尽なことを要求したとしても(男とはそういうものなのだ)、なだめすかして、いい所を見つけ、やった事に感激し、感謝し、それを褒め続ける。そう、日々褒め続けるのだ。そうすると単純な男は自然に「さらにいい伴侶」になろうと一所懸命頑張って、その女性を愛し続けるだろう。
しかしこれが「言うが易し」で、実際にはなかなか難しい。多くの女は男のお母さんになってしまうのだ。つまり口うるさく男を「指導」しようとする。「うるせー!」と母親には突っ張る男達。そうなるとどんどんグレてしまうのが単純な脳構造を持っている男なのだ。
換言すれば、褒めておだてて育てるだけの器量がその女にあるかないか?が女の幸せを決めるともいえる。「あげまん」かどうかは、持って生まれたその女の素質(運命)ともいえるし。逆に男が幸せになるためにはどうしたらいいか?についての考察は後日別項に書く事にししよう。
換言すれば、褒めておだてて育てるだけの器量がその女にあるかないか?が女の幸せを決めるともいえる。「あげまん」かどうかは、持って生まれたその女の素質(運命)ともいえるし。逆に男が幸せになるためにはどうしたらいいか?についての考察は後日別項に書く事にししよう。
あっ、エラそうなことを書いているけれど、我が家は全然だめです。理想と現実の乖離が大きい。僕がどうして上述した真理を究めたか?について考えてくれれば自明でしょ(笑)
以上、結婚披露宴のスピーチ(例)
以上、結婚披露宴のスピーチ(例)