助けあいジャパン

February 11, 2011

雪の記憶とスキーLOVE

東京に生まれ育った子供の頃の僕らにとって、「雪が降る」ということは、無条件でわくわくする出来事だった。小学校は授業は休みになって校庭で先生も一緒になって雪合戦や雪だるま作りをした。下校後は家の近くの坂道で雪車(そり)遊びをした。大雪が降った時などはスキーを持ち出して坂道を滑ることもあったから、今以上に冬は関東地方に雪が降っていたのだと思う。当時の公共交通機関は殆ど止まったハズだし「ああ、今日は雪だから学校も職場も休みにして、(大人も子供も)皆でそれを楽しもう!」という共通認識の「雪だからしかたないよね・・・」的なエクスキューズがあった気がする。

僕らの通っていた日比谷高校では「遅刻坂が危ない」ということで(うそばっか<笑)、前夜にハラリとでも雪が降ろうものなら「全日休講!」というルールがあった。サボるのが大好きな僕らは、朝から渋谷の映画館で一日中エンドレスでビートルズの映画(Let It Be, Yellow Submarine, Hard Days Nightなど)を観たり、原宿や渋谷の僕らのたまり場の喫茶店で、だらだらと一日中ダベッて時間を過ごしていたものだ。「あれっ?今日はなんで学校が休みなんだっけ?」「朝雪が降って休講になったんだよ」「ああ、そうなんだ(←なぜオフィシャルに休みなのか判っていない)」なんて会話が普通にあった。

僕の記憶が正しければ、我が校は夏休み、秋休み(二学期制のため)、冬休み、春休み以外の休みも合算すると、全都立高校の中でダントツで休みの多い学校だったということで有名だった。さらに、自主的に(僕ら的には「主体的に」)自主休講とか宅調べとか理由をつけてサボる僕らにとっては、まさに天国みたいな学校だった。厳しかった学園紛争の余韻もあって、そもそも教師がまともに出席もとらなかったし。

大学時代から独身時代の雪の記憶は、あの時代の若者の行動パターンをモロにトレースしていて苦笑を禁じ得ない。ご多分に漏れず「雪=スキー=車=ナンパ=女性」がワンセットになった記憶ばかり。夜中に車で移動してスキー場に行くっていうことが冬の大イベントだった。毎冬4−5回は行っていたかな。お金がないので車中泊が多かったけれど、翻訳のバイトで懐が温かい時にはロッジに泊まれた。奥志賀高原の杉山進さんのスクールで毎冬合宿したのも懐かしい思い出。ここで僕はスキーがゴールドまで巧くなった。忙しい研修医時代にも強行日程で苗場やニセコに行ったし、郡山の研修医時代には猪苗代に毎週スキーに行ったり、放射線技師さんと看護師さんと一緒に南会津に遠征した。ああ、懐かしい。かみさんとの出会いと付き合うきっかけもスキーが大きかった気がする。

結婚してからは、LAからマンモスマウンテン(カリフォルニア)やヘブンリーヴァレー(ネヴァダ)にスキーに行ったし、子供達が小さい頃から毎冬は車でスキーに行った。ニュージーランドでは一週間の冬の有給休暇をもらって、クライストチャーチからクイーンズタウンのコンドを借りて、コロネットピークで過ごした。日本に帰ってからの冬は、奥志賀、志賀、岩手の夏油など。でもそれもかなP(長女)が中学生までだったかな。それ以後は、それぞれの学校のスキー合宿もあるし、どうせ行くなら友達とのスキー旅行になるので家族でのスキーはなくなってしまい・・・・ここ10年僕もかみさんもスキーをしていない。

昔とった杵柄で、たぶん緩斜面か良く馴らした急斜面だったら、かなりキレイに滑れる自信がある。奥志賀のグランフェニックスに泊まって、ゆっくりと美味しい朝食を摂って、温度が上がって適度に熟れた雪質になったことを見計らってから、おもむろにスキーに出て、4−5本ゆっくり滑って、昼前に上がる。昼ご飯を食べて午後はシャンパンを飲みながら温泉&ジャクージでまったりとする・・・そんなスキーをしたいもんだ。

もうそろそろ、そんなジジイ・スキーを解禁にしてもいいかな(笑)。
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