January 31, 2011

冬の朝、1時間寝過ごして思った事

久しぶりに寝過ごしてしまい、目覚めたら7時。あわわわわ。きっと週末のサッカー観戦辺からリズムが乱れちゃっただろう。この惰眠を貪る冬の朝の布団の中の「ぬくぬく感」っていうのは、誰にとっても人生の中で「幸せ」を体感する一つの具体的な感覚だけれどね。そんな朝もある。

そんなこんなで、ばたばたといつもより20分くらい遅く出勤したら、着膨れラッシュもあり超満員の準急に乗る羽目に。「満員電車の石ころルール」。たまプラーザから溝ノ口までの10分間をじっと耐えるしかないと諦めて、石ころになりきって乗っていたら・・・

ちょっと離れた場所から、「よりかからないでー!!!ちょっと、あんた、ヒドいじゃない!なんとかしてよ!!」と悲痛な怒鳴り声。姿が見えないけれど声から察するに、かなり年配の女性みたいだ。そのヒステリックな声に周囲の人たちが「引いている」のがわかる。だって仕方ないじゃないか、辛いのはお互い様でみんな我慢しているのだし・・・という空気が充満している。その女性には同情もするし気の毒だとは思うけれど、個々の乗客にとっては、どうしようもなく、仕方ない状況なのだ。

朝7時半の超満員の「田園都市線の上りの準急」に乗る事を決めた人たちにとっては、以下の「暗黙の了解と同意」があるはずなのだ。厳しいし、冷たいようだけれど、だからこそ今日のばあさんの「悲痛な叫び」は「みんな理解している」ものの、不満を云う貴方がおかしい、と皆思っていたのだ。

①厳しい状況をじっと耐える体力と気力(精神力)のある「基本的に健康な勤労者&学生」だけが乗っている。
②皆、不平や不満はあるだろうけれど、日本人特有の「お互い様ですから・・・」の寛容の精神を持っている。
③よりかかり、足踏み、オッサンの臭い息、ウザイ女の束ねていない髪、邪魔な床置きした鞄、隣のipodのうるさい音漏れ・・・には文句は言わない。人のフリ見て我がフリ直すことが出来るのが大人の条件だ。
④自己を殺して何も考えず何も感じずただひたすら電車に運ばれる「石ころ」になれること。
⑤満員電車に乗り合うための身のこなしの基本的なテクニックを習得している。あるいは、近い将来に習得する意志があること。

これを「世間の常識」とも呼ぶし、「大人のルール」とも云えるし、「暗黙知」とも呼ぶ。この「共通の認識」があってはじめて、見ず知らずのオッサン、オバサン、ニイチャン、ネーチャンが「くんずほぐれつ」の「オシクラマンジュウ状態」に身を置く「資格」をもつことになる(という共通認識がある)。逆に言えば、そうじゃなかったら、乗るべきではないと思う。つまり、あの悲惨な混雑の中には、じいさん&ばあさん、ちいさな子供とその親、病気の人、精神的に弱い人、キレやすい奴、水着を着た美女(笑)、痴漢したいアホ、サカリの付いたペット・・・etcが乗っていることは、基本的に想定していないのだ。

その予想される状況に対処して、1時間早く家を出ればまだガラガラで快適な電車に乗ることは可能なのだし、ヒステリックになるくらいだったら自己防衛をするべきだし。

じゃあ、このままでいいか? もちろんNOだ。未来的には、老いも若きも、こどもも病人も、みんなニコニコとハッピーに移動できる公共機関にするべきだし、それが社会の進歩の原動力ってものだろう。でも差し当たりはこの厳しい状況は続くんだろうな。


余談になるけれど、東工大に国費留学してたインドネシア人の女性(イスラム教徒)は、他人の肌の触れるリスクのある朝の満員電車が耐えられなくてノイローゼになってしまい、それが原因で帰国せざる得なくなった。可哀想な話だけれど、それそ克服できなかったとすれば日本社会ではサヴァイヴできないってことなんだ。厳しいけれどソレが現実。