December 20, 2010

じゅるじゅるの一日

昨日の日曜日は朝からなーんとなく怠くて風邪気味だったので、ルーティンの休日の泳ぎにも行かず、一日中ソファでだらだらと昼寝>読書>昼寝の繰り返しで休養した。いくらでも眠れる感じ。デスク周りと本棚と廊下の暮れの大掃除「第一弾」をする予定だったけれど、パスすることしした。こういう区切りというか自分なりの儀式というか「禊」みたいなものは、体調充実の時にしよう。さとなおくんが偶然、彼のブログで書いていたけれど、「捨」のダウンサイズすることで区切りをつけることは大切だと思う。自分にとって必要なものを見極め、不要な物は捨て去ることで、本当に大切な物が見えてくる。人生はいつか来る大切な日のためにあるのではなく、いかに日常の時間を豊かに過ごす事が出来るかが大切なのだという、彼の意見に僕も激しく同意する。僕も実は来るべき新しい年に向けて、この暮れはキレイさっぱりと身の回りを整理整頓しよう!と思っていたのだ。一年を通して貯め込んだ様々な「ネガティブな気」は今年中に処理してしまおう。

今朝からひどい鼻づまりでティッシュ2箱使ってしまった。鼻のかみすぎで、がびがび&ひりひり状態(涙)。熱もないし元気なのに、とにかくジュルジュル鼻水&涙目で辛くて仕方がなかった。マスクで顔を被い涙目で診察していたら患者は「引く」よなあ。心配かけてすんませんでした。

夜はジムに寄らず直帰してゆっくりめの半身浴&がっつりご飯。夜は「中原の虹」第2巻を読みながら、満州の広大な大地に思いを馳せる。「満州馬賊」に対して今まで僕が持っていたイメージって、野卑で低俗なアウトロー達っていうものだったのだけれど、任侠の義族&愛国者という一面もあるのだね。壮大な時間軸の中で、浅田マジックが実に魅力的な人物像を紡いでいく。ううう、いいなあ、当分はこの世界に浸っていたい(笑)。

この満州の地で、亡くなったオヤジはどんな青春時代を送ったんだろう? 日本人としてアウエーの地、平壌で生まれた彼が18歳の時、大学に入学するべく初めてさらにアウエーである満州の地を踏んだ時、どんな気持ちだったんだろう?たぶん溢れる希望と夢を胸に長春の街に降り立ったと思う。そして、そのころの長春の街はどんな街だったんだろう? 彼の学んだ建国大学っていうのは、どんな学校だったんだろうか。Wikiを読むと民族共存を理想とした壮大な実験としての帝国大学だったみたいだ。建学の基となった石原莞爾の「アジア大学」構想は日本帝国主義の唯我独尊的な面ははあるけれど、壮大でユニークななものだったことは確かだ。石原莞爾という天才については、いろんな著作があるみたいだけれど、まずは福田和也の本を読んでようと思う。ちなみに、Wikiによると今年2010年6月に「最後の同窓会」が開かれたとのこと。一つの時代の終わりの象徴かもしれない。