December 17, 2010

物語的には調和した似非ケイオスの中で

今夜は職場の忘年会。毎年思うけれど今年も早かったなあ。大過なく健全経営できたことはスタッフ一同の個々の努力の賜物だ。ありがたや、ありがたや。今夜の会場はちょっと動きづらい構造で、皆と話しづらかったのが難点だったけれど、事前の準備や進行を仕切って頑張ってくれたスタッフのおかげで、楽しい時間だった。来年も頑張ろーね。痛飲してべろべろに酔っぱらって中央林間の終点まで行ってしまい、逆の上りの終電で途中で降ろされてしまい、エラい目にあった去年の忘年会の轍を踏まず(笑)、抑えめで飲んで、一次会で帰路についた。付き合い悪くてゴメン。

さて、金曜日夜の渋谷は今年の忘年会のピークなんだろう。今夜もスゴい人出。ハチ公前のオープン交差点では一度の青信号で移動するのは2000人とか以前どこかで読んだことがある。様々な状況にあるその2000人が、ワサワサとそれぞれの目的地を目指してアトランダムに渡ってる状況って改めて考えてみると、すごいことだ。交差点だけでなく周辺のペーブメントも人だらけ・・・ってことは、今夜の渋谷のあの辺りにざっと見積もっても1ー2万人は屯していたんだろう。すげーすげーとか思いながらほろ酔い気分で歩く。何がどうスゴいかはあとで考察するとしても、今夜はただ「すげー」って思った(笑)。やっぱり、あの「圧倒的に平和でぬくぬくと生温い安心感」のある空間ってのは、世界中の都市のなかですごく特別だと思った。大きな危険や想定外の物事が起こる筈のないくらい調和のとれた「似非ケイオス」のメタファーとしての渋谷の交差点。僕らは先人達の必死に築き上げた平和という虚構にぬくぬくと埋没して生きている。いい意味でも悪い意味でも。

帰宅してから、気になって軽めに検索してみたら、こんなのとか、こんな研究を見つけた。膨大な社会学や心理学の研究対象としては文系理系問わず興味深い空間なのだろうな。素人の僕でもすぐに2−3の考察文は書けそうだ。

でも、どうして今夜そんなことを考えたかというと、近々書き始めようとしている文章のある場面のテーマが、「ケイオスの中の孤独」なので。プロットを書きながら考えを進めよう。