August 7, 2010

勉強することの大切さ

この歳になると日々の生活の中で、ああ、あれはそういうことだったんだ!って突然気付くことがある。大人になって無感覚になったというだけでなく、自分が未熟だったときには見えなかった事が自然に見えてくる。若い頃には理解できなかった(しようともしなかった)事の意味が突然わかったり、全然間違った認識で自分勝手に誤解していた事で悩んでいた事に気付いたり。年輪を積み重ねていく事で解決する物事の「道理」というものがあるということを感じるようになる。

逆に言えば、若い頃の感性は自分で意識していないとどんどん変質していく。大人的な「コトナカレ主義」や「分別」とか「常識」という名前の「言い訳」とか「物わかりの良さ」に染まってしまうからだ。その事は是や非ではない。是は必ずしも是ではなく非は必ずしも非ではない、ということ。大人になったからといって「正しく悟った」ということでもない。ただ視点は広がり少し高いところから俯瞰する事が出来るようになる。

若い頃さんざん大人達から「心身ともに鍛えておけ!」と言われた気がするけれど、何をどう勉強すればいいのかは、皆目検討が付かず馬耳東風だった。大人の言う事を素直に聞く事が「カッコ悪いこと」で、それを無視して「俺、勉強嫌いだもんね」という態度を取る事が若者の「証」だと思っていた。学校でそこそこの成績をとることはプラクティカルな意味でそんなに困難ではなかったから、その努力はそれなりにしたけれど、そんな不純な動機で学んだ事は身には付かない。要領の良さは小さい頃からで、試験地獄をサイヴァイヴして結局は医者にはなったけれど。そんな事は「学ぶ事」の本質からはかけ離れた物で、自分の感性を磨くためにもっと若い頃本を読んで勉強しておけば良かったな、と最近つくづく感じている。日暮れて道遠し・・・この週末は近代日本史の勉強でもするかな。