先日亡くなった医局の1年後輩のお通夜。慶應の工学部から医学部に入学し直したので僕より2つ上で享年55歳。ラガーで体力もあるし、愉快で豪放な性格で誰からも好かれる人柄。医師としての技量はもちろん信頼できるものだったし、何より患者とその家族に優しい熱血漢だった。
若い時の厳しい修行時代の日々には、四六時中一緒に苦労した。僕が医局の1年上ということで、お互いいろいろと助け合ったのも今はいい思い出だ。オフの夜には一緒によく遊んだ。僕のアメリカ時代には、メキシコの学会に一緒に行ったし、LAの拙宅に遊びにきてくれた。勤務する病院に訪れてくれて、当時よちよち歩きのかなPを、すごく可愛がってくれた。僕が帰国してからは、彼がエジプトの病院で講義するための英語のスライドや原稿は僕が書いてあげたし、中国での講演と講義の原稿も手伝ってあげたら、トンでもない高価な紹興酒(あくまでも本人談だけど>笑)をお土産に買ってきてくれた(実はつい最近開けてみた、虫の報せだったのかもしれない)。
3年前に癌を自分で発見。その時点でかなり進行したものだったので、自分で予後については理解していたと思う。医師が病気になると、ある意味残酷だ、しかし、治療について自分として悔いのない選択をして天命を待ちつつ、死ぬまでの準備を十分にすることが出来るのかもしれない。初期の化学療法は非常に有効で、プロである僕らも「もしかしてあれば彼独特のキツいジョークだったんじゃないか?」なんて、本気で思うほどだったのに。その後、何回かの危機を乗り越えて3年。
たまに学会やパーティなどの会合とかで彼と会うと、えへへへと笑いながら「まだなんとか生きています」なんて言っていた彼の姿。その時の表情と彼の気持ち(辛かったんだろうな・・・)が憶い出されて、今夜お焼香しながら胸が張り裂けそうになった。でも、僕は泣かなかった。彼はそのすべてを医師として判って、最期まで立派に病気に向かい合い生き抜いたのだから。立派だよ、ごみちゃん
お焼香を終わり奥さん(大恋愛の末、ご両親の反対を押し切って結婚した)にご挨拶をしてから、まだ小6の双子の男の子(結婚10年くらいでやっと出来たお子さんなのだ)に、「君たちのお父さんは素晴らしい外科医だったんだよ」と伝えた。二人とも泣きながら、しっかりと僕の目を見てうなずいてくれた。
御清めの席を辞して帰ろうとしたら、ロビーで彼と僕が若い頃に、一緒に苦労して治療したA.M.ちゃんとお母さんに呼び止められた。彼の訃報を聞き,通夜に駆けつけたとの事。本当に久しぶりの再会だった。重い病気を背負って生まれてきた赤ちゃんだった彼女は、新生児の時から何回かの手術が必要だった。当時は小さな赤ちゃんだった彼女も、今は23歳の美しい女性に成長して、ある病院で管理栄養士として頑張っているとのこと。その姿を観て感無量になった。亡くなった彼がくれた素晴らしい再会のプレゼントだった。
おつかれさま、もう十分頑張ったから、ゆっくり休んでください
まだ当分は僕はこっちで、君の分まで頑張らせてもらうつもりだけど、どうか見守っていてください
そのうちそっちに行ったら、また前のように、とことん飲もうね!
そっちのいい店探しておいてください!
ごみちゃん、君の事は忘れない
合掌