May 20, 2009

透明な個室時代のメディア考

今日の朝日新聞夕刊「休刊時代のメディア考」。ノンフィクション作家の野村進さんが書いてる記事が面白かった。

以下、僕の要約。
電車の中でケータイとイヤホンで自閉症的な世界に浸る人たち。「透明な個室」に入ったまま公共の場に存在する、これらのカプセル人間達に、新聞や雑誌が入っていける余地はほとんどない。ましてや、硬派のノンフィクション主体の月刊誌をや、だ。「ネット・ケータイ社会」の最優先原則は、情報の「産地直送」。ネットにより人々は自分たちの情報発信の方法を得たし、最新のニュースを含む情報を得る方法も得た。しかし、世界中に氾濫する様々な大量の情報を取捨選択したり、その背後にある構造を読み解いたり、世界が今後どこに向かっていくのか?という事を予想したり、権力を監視し批判するなど、従来の「プロフェッショナルな仲介者」としてのメディアが担ってきた役割は,昔も今も、そして将来も必要であろう。プロの書き手はプロの編集者が居ないと育たない。逆も真なり、である。情報が「無料」のネットでは、プロ同士のこの関係は成立し得ないのだ。つまり、これからは、従来のプロのノンフィクション(作家)は育たない、という問題がある。

個人の情報リテラシーというものが、現在社会で生きてゆくための大切な能力であることは自明なんだけれど、皆が皆その能力を持てる訳じゃないし、信頼度の低い情報に基づいた、極端な意見が「世論」をミスリードする危険性がある今の状況に対する危機感っていうのは、旧来の活字系情報の送り手である新聞や雑誌などの業界には当然あるんだろうなって思った。逆説的な意味では、この野村さんのこの高飛車雑誌メディア目線の論理は「衆愚主義」(賢いメディアが暗愚な民衆を導いてやる的な)の匂いが見え隠れするんだけれどね。そんな僕も、このままの状況はヤバいんじゃないのか?って一般人として危機感があるもの。一昨日の産經新聞では、同じような論点で。アメリカの雑誌(たとえばTime)やジャーナルの変化について書いてあった。

勉強になった。