自宅前の桜並木が今朝から、どわっと咲き始めた。開花から満開までの時間がかかった、今年の桜。
朝日新聞の今日の夕刊で、玄侑宗久さんが書いていた文章が面白かったので要旨を引用しておこう。
さくらの原産地は日本である。さくらのなかった中国の「櫻」という字を、この花の名に当てはめたのは日本人である。しかも、「神様の降り立つ場所」という意味の「さ、くら」という訓で読んだ。神様が降り立つ場所として、この花は祝祭にふさわしい。「非日常の日常」が束の間の開花に伴って訪れる。それは死にも似て、職業も地位も年齢も関係ない世界である(中略)/ 夜桜は「見てはいけないものを見たような」妖しさがある。桜花が妖しいのではない、日常に戻りきれない人の心が妖しいのである。
桜が似合うのは、やっぱり神様(神道)の方であって、仏様(仏教)ではない気がする。
これを書いている玄侑さんは坊さんなんだけど(笑)。この辺りの微妙なニュアンスっていうのは日本人にしか理解できないんだろうな。