今週の週刊文春は創刊50周年記念号で、なかなか読み応えがある。その中でいろんな人がこの雑誌のコンテンツの移り変わりを通して、世の中の変化について述べているんだけれど、週刊誌というメディアの意義というのは、僕ら医療の世界で喩えれば、ものすごくシンプルでプリミティヴだけれど、地道に「世の中」をモニターしている心電図みたいだと思う。その意味で、それが50年間も健気に、且つ、したたかに動き続けたってこと自体、すごく大衆文化的に(おお、なんという懐かしい言葉だ!)素晴らしいことなんだ、きっと。
そもそも大上段に振りかぶって読むもんじゃないし、扱っているジャンルやテーマも千差万別、玉石混淆。つーか、それ以上でもそれ以下でもないはずだ、という不思議な暗黙の了解のもとに筆者と読者の微妙な関係が成り立っている。どこから読んでも、途中を読み飛ばしても、全く問題ない作りになっていて、その中には、へー、とか、ほほう、とか読者を唸らす何かもある。50年間「ふつうの大人」の支持を獲ているんだから、これはすごいことだ。つまり金太郎飴みたいに見えて、実は巧妙に時代を読む努力をして変化し、不特定多数の男女にも飽きられないという努力をしているわけだね。
うううむ、考えてみれば50年間続いた希有な雑誌の不思議な魅力を語るには、結構膨大な分析と考察が必要になりそうではある。つらりと考える仮説としては「週刊文春は醤油味である」ってことなんだけど。
実はこの号の、近田春夫さんの日本のヒット曲と音楽業界(J−ポップ)に関するコラムが、最高に鋭くて感心したので、それを書こうとしたのだけれど、よく考えてみると、そのコラムを載せた週刊文春という雑誌の「目の確かさと懐の深さ」について感激したのでした(笑)。