一昨年から昨年にかけて繰り広げられた今回のアメリカ大統領選挙は、以前にまして興味深くみていた。ブッシュの時代に、アメリカ国民のみならず全世界の国の人々が被った「負の遺産の大きさ」。最後の最後にアメリカ経済のハリボテみたいなバブルが弾け飛んだのは、この弱肉強食を是とする「強欲な自由経済至上主義」の限界を知らしめるための天からの警告なのか?
当然の帰結として、我々市井の人々ordinary peopleはその影響の大小はあるものの、右往左往することになり、「これじゃ、まずいんじゃない?」という気分になった。そのひとつひとつは小さなベクトルとしても、世論という集合体としての大きなベクトルの流れは、当然「今まで違う」プレジデントを求めた。
見た目はアフリカ系アメリカ人。といっても、黒人男性と白人女性とのハーフ。恵まれない少年時代から努力し頑張ってハーヴァードに進学し、その後の政治家としてのキャリアはまだ未知数。黒人層にとっては「希望の星」だろうし、白人にとっても簡単には文句の付けるのが憚られるような魅力的なキャラクターだ。
そして、あの演説だ。まず声がいい。文章はシンプルでどの階層の人々にもわかりやすく、独特の繰り返しのフレーズに説得力がある。昨年夏の時点で、保守共和党の苦戦は明らかだったけれど、同じ民主党のヒラリーが相対的に低く見えてしまって、最後のほうでは完全にヒールになっていたほどだ。従来の政治家の多くが「素晴しい未来」を語る際、聴く方としては(必ず)どこかにその偽善的な匂いを感じ取ってしまい、そのマイナス面も含めて(つまり減点式だ)で、ま、仕方ない、この辺(候補者)にしておこうという判断をするものだのだが、彼の場合には不思議に、あ、この人は結構正直にこの話を信じて話しているって感じさせる、プラスの気持ちになる、そんな不思議な魅力のある演説だと思う。昨年夏前のオハイオの演説を観て、こりゃスゴイって思った。日本の政治家であのレベルの演説の出来る人は僕は知らない。
それにしても、アメリカ大統領という世界最高権力の座を決めるレースは長く過酷だと思う。体力、知力はもちろんのこと、素晴しいスタッフを見つけてチームを束ねる力、集金力、判断力(瞬発力ともいえる)、なによりストレスに負けないガッツが、保てるのか?を徹底的に競わすという、システムはいかにもアメリカ的だ。
これほど就任演説が楽しみな大統領は今までいなかった。