December 18, 2008

MRちゃん

若い頃の恋は成就しない。もちろん「すべて」とはいえないけど、「ほとんど」がそうだ。思い返してみればいろんな出会いがあって、惚れっぽい僕は女の子にすぐ惚れてしまい(笑)、付き合うまでもなくフラれたこともあったし(つまり撃沈ってやつだ)、時には相思相愛というか(書いてみると気恥ずかしいもんだな、はは)付き合っているという状態になったことも、多少はある。でも、むしろそれは稀なほうで、勝率でいえば(で喩えることが正しいのか間違っているのかは別の問題だけど)、よくて2割。2勝8敗くらいのモンだったと思う。

社会に出てオトナになってからの恋愛っていうのは、これはまたちょっと別で、いろんな要素が絡んでくる。つまり、結婚に至るまでの道筋っていうのは、恋愛というふわふわした「感情」だけじゃ全然間が持たない、というか責任がもてないアヤフヤなものだけじゃ進まなくて、うまく表現できないけれど男も女も、それなりの覚悟をもって臨むことになる。つまり、単なる恋愛が「個人的なもの」であるとすれば、結婚は「社会的なもの」なわけだ。

換言すれば、若い頃の無責任で自分勝手な恋愛っていうのは、若い人の特権というか、その後の人生の糧となるような貴重な経験だと思うわけだ。フラレまくりの若い頃に、得たものは多い。本当に多くのことを彼女たちから学んだ。男友達の何千倍の影響を受けたと思う(爆)。少なくとも僕はそうだ。

さて本題。自分のその後の人生に影響を与えた女性、第一位は、ダントツでMRちゃんだと思う。どうも若かりし頃の僕とご縁のある女性の多くがMちゃん(4人<爆)なので、友人読者各位に誤解を与えないためにMRちゃんとしておこう(爆)。研究日の今日、時間つぶしに本屋さんに入ったら、ある本の共著者に同名の名前を発見して、30年以上前のことを思い出したのだ。

浪人時代、MRちゃんと出会わなかったら、僕は医者になっていなかった。医学部を受験する気にもならなかっただろう。たぶんそのまま文科系の大学に進み、社会科学系の学問を勉強して何らかの職を得ているはずだ。彼女とは2ヶ月くらいしか付き合っていないし、厳密に言えば、付き合う前にさらりと劇的にフラれた。一緒に図書館に行っておしゃべりしただけだ。手さえ握ってない(と思う<爆)。へなちょこなくせに、自己満足ナルシストで、議論好きな鼻持ちならない18歳の僕は、それで目が醒めた。

彼女はそんなにドラマティックな言葉を放ったわけじゃない(でも、ここで書くのは止めておく)し、たぶん絶対に意識していった言葉ではなかったんだろうけど、原宿の竹下口の公衆電話ボックスの中で僕はしゃがみこんでしまったのだ。そのくらい、前頭葉を直撃した。若い男にとって女の子の言葉の影響力は大きい。僕はその後ハッチャキになって勉強したのだ。

若い頃の恋愛は成就しない。でもそこで得られた果実は将来大きな意味を持つ。MRちゃんとは、そこで別れて以来全然会っていない。その翌年春に電話でしゃべってからの彼女がどのような人生をその後歩んだのかは全然知らないし、今敢えて知りたいとも思わないけど、感謝してます、本当。

若い頃の恋愛をなめちゃいかんぜよ、心して一所懸命やんなさいね>ウチの3人娘たち。何気ない言葉が男の人生かえちゃうんだから(爆)。