世の中のほとんどの物事は、人々の「善意」と「信頼」のもとで、スムーズに流れている。つまり、なんだかんだ言いながらも我々は正義を信じられる公平で公明正大な世の中に生きていて、これは素晴らしいことだ。そういう「正・善」の生活のなかで、人生っていろいろな小さな悩みや様々な辛い事があったとしても、「そんなに悪いもんじゃない」って皆思っている(と思う)。でも99.9%がそうだとしても、0.1%くらいの確率(もしかしたらもっと少ないだろう)で、人間の持つ「悪意」とか「裏切り」のような「邪」によって「最悪最低の出来事」も起こるのも事実。
大人になると、だれもがその事実(世の中は清く正しい論理で動いているけれど、とんでもなく邪悪な事も実は密やかに起こっていて我々の生活をいつ脅かすのか判らないというコワさ)を知ってしまう。皆が争うことなく、健康に豊かに、自然の中で生きていく事が出来れば、法律や掟や決まり事はいらない。たぶん「習慣」とか「風習」という「文化」だけで皆は幸せに生きていけるはずだ。極めてプリミティヴな「ユートピア」思想。でも、それはもちろん幻想で、をの社会の空間軸と時間軸の中で、不可抗力の「トンでもない事」(例えば今年の311の大震災)が起きてしまうし、予想もしなかった人間の邪悪な行動が社会を脅かすことになる。とすれば、やむを得ず「決め事」をするしかないし、社会の「罪と罰」と定義してそれを執行する組織も作る事になる。だからこそ政治というシステムも必要になるのだな。日々見聞きする辛い事件や出来事を知り痛感する。
えーーっと、何を書こうとしたのかオチを忘れてしまった/w。
ということで、メモランダム。
今夜はかみさん&ゆっつんと神保町「くろぶたきよし」。ここんちの薩摩六白黒豚しゃぶしゃぶは大満足のヤバい味だ。クセになる。
September 30, 2011
September 29, 2011
東北復興支援「赤べこプロジェクト展」@横浜赤れんが倉庫
第2回東北復興支援「赤べこプロジェクト」に行ってきた。CM音楽で有名なミュージシャンであるJames Shimojiさん達が主催するワークショップ。当代一流のアーティストが福島の「赤べこ」に様々なアートワークをして展示する。ユーモアもあるし、制作したアーティストたちの温かい支援の気持ちを感じる作品群。みんなやさしく可愛い♡
会場で主催者のJames Shimojiさんとお会いして、お話した。いろんなご縁があってびっくりした。こども病院のロビーとかで展示して子供達やご家族に観てもらいたいね!という話になった。微力ながら努力してみるつもり。また、復興支援ボランティア団体Plus Neoの中津川さんにもご紹介頂いた。彼らは被災地に中古の軽自動車を贈る活動をしている。今日は些少ながら寄付をさせていただいて、「復興2号」の右後ろのボディの部分に、ささやかなペインティングをさせてもらった。画像はコニーアイランドみたいな「夕日に照らされる赤れんが倉庫」と、横浜港の「赤べこ雲」。
September 28, 2011
クロネコヤマトは日本の至宝
職場の事務スタッフとの会食会。上半期が安全に順調に運営できたのは、病院という組織の中でまさに「縁の下の力持ち」として頑張ってくれている彼らの力が大きい。いんちょがたいした事ない分、うちの職場はその頼りがいのないトップを支えるべく素晴らしい(お世辞では決してなく)人材が(どこからともなく<笑)集まってくれる。僕は、日々これは本当に有り難い事だと思っているのだ。今夜はその彼らの頑張りに対する慰労と、今後のあり方についてのディスカッション。先日知って感激した糸井重里さんの「ほぼ日新聞」のヤマト運輸の木川眞社長とのインタビュー記事を紹介して、僕らの目指すところを伝えるべくスピーチをした。どれだけ伝わったかはわからないけれど、何かを感じてくれれば有り難いと思う。「器の大きい」組織というものの姿を常に職員皆がイメージしていくことの大切さ。
September 27, 2011
1グラム1円理論だと
首の後ろに脂肪がついて実にみっともない状況になっていることに、自分の写っている写真で気付いた。自分じゃ見えないのだ。やばい、みっともない。自分の年齢とライフスタイルを考慮して1ヶ月で1kg落とすことにした。目標は半年後、2012年3月11日の震災1周年に63kgにすること。医学的には全然無理のない楽勝パターンの減量なんだけれど、実際に達成するにはそれなりの努力が必要だろうな。先日のパーティで会った某男性雑誌のMさんみたいな、白シャツの似合う細マッチョを目指して頑張ろう・・・って、何を企んでいるんだ(爆)。
そんなこんなで僕の文章や講演や講義でのネタもとの「社会実情データ図録」をつらつら眺めていたら、「食品別のグラム単価とカロリー比較」の図表を見つけた。この発想がすごい。
そんなこんなで僕の文章や講演や講義でのネタもとの「社会実情データ図録」をつらつら眺めていたら、「食品別のグラム単価とカロリー比較」の図表を見つけた。この発想がすごい。
グラム当たりの単価が高い食品は、牛肉が274円と最も高く、これに、魚(たい)、チーズ、豚肉と続いている。カロリー単価の方を見てみると、最も安い食品は、食用油、次に砂糖、それから小麦粉、スパゲッティ、米という順になる。つまり、ざっくり言えば美味しいものはグラム当たり単価が高く、カロリー当たりの単価が高いものは「コレがなくくては」という脇役的な食材が多い。トマトやぶどうといった青果物はカロリー単価は肉以上となっているのが証左。肉類はグラム単価は高いがカロリーも高いので、カロリー単価は、むしろ魚介類の方が高いことになっている。
September 26, 2011
秋の夜長について
いつも5時過ぎに目が覚める。これは季節に関わらずいつも同じ時刻。今の季節 5:00amは、朝というより夜の延長だ。先週まではあんなに暑い日々が続き「夏の残照」に焦がれていたのに、台風一過から妙に秋が深まった感じがする。お彼岸はほぼ昼と夜の時間が同じ訳だが、今週に入り急速に夜の時間が長くなったと体感する。
今朝、FBでいつも朝の清々しい空の写真を投稿する人が居て、彼女が「秋の夜長ですね」というコメントを書いていた。そうか!彼女の言う通り。夜がはじめるのも早いけれど夜明けが遅くなり、朝が始めるが遅くなるのが秋なのだね。
僕は今の今まで「秋の夜長」というのは、「秋は日が沈むのも早くなり夜が長く、いろいろとやる事があるので夜が長い」という意味だと勝手に解釈していた。こういう誤解というか自分勝手な解釈ってこの歳になっても結構発見がある。おもしろい。
今朝、FBでいつも朝の清々しい空の写真を投稿する人が居て、彼女が「秋の夜長ですね」というコメントを書いていた。そうか!彼女の言う通り。夜がはじめるのも早いけれど夜明けが遅くなり、朝が始めるが遅くなるのが秋なのだね。
僕は今の今まで「秋の夜長」というのは、「秋は日が沈むのも早くなり夜が長く、いろいろとやる事があるので夜が長い」という意味だと勝手に解釈していた。こういう誤解というか自分勝手な解釈ってこの歳になっても結構発見がある。おもしろい。
September 25, 2011
懸案事項②終了、チーボ再訪
友人とプライベートでやっている会社の決算月で、毎年この時期になると請求書やら支払い帳簿やら領収書の整理などの慣れない経理処理を自分ですることになる。この一年分の書類作業をする(コンスタントにやっていれば随分楽だろうに!)のは、かなりのストレスなので、毎年8月後半から延ばし延ばしにしてしまう。以前書いた懸案事項その②がコレだ。
さすがに今週末はデッドライン。一昨日から三女さとちゃんをバイトで雇って、なんとか今日仕上げる事が出来た。やれやれ。今はもう本業(医師)のほうが忙しすぎて、研究日に医療系コンサルなんかはやる時間も余裕もないので、この会社を維持する経済的なメリットは全然ないんだけれど、設立してから15年になるし、こうなったらある意味惰性で進めていくしかないのかな、と。医者を引退したら、この冬眠しているみたいな会社を最活性化してもいいし・・・なんて考えたりして。S公認会計士、わがままなクライアントで申し訳ありません。宜しくお願いします。
もっとも、今まで現役引退なんて具体的に考えていなかったけれど、来年の誕生日の55歳を目前にしてそんなことを漠然と考え始めている自分に逆に驚いた。医師に定年はないけれど、組織には定年があるので、僕もこの先10年くらいからの生活設計をしなくてはいけないのだと今さらながら気付いたのだ。極言すれば、どうやってこれからの人生を楽しむか?ってことだろうし。10年ちょっと先の未来、どこで、何をするか(したいのか)?流れの中でどう舵取りするのかは、すべて自分にかかっている。
夕方からは11月27日予定のライブのチケット作りなど。今年のライブは原宿クロコダイルという老舗ライブハウス。恒例の秋のメインイベントの準備に10月11月は忙しい。
夜は、かみさん、かなP、ゆっつんと4人で自由が丘「トラットリア・チーボ」へ。先週の水曜に行って大感激したので今度は家族で、僕は中3日でリピートになってしまった(笑)。今日も大満足!特に今日は、蝦夷鮑のパスタ!!鮑肝のソースがヤバい味!当分ハマりそうな雰囲気。週に2回行ったら、身体的にも家計的にもかなり厳しいよな(笑)。
さすがに今週末はデッドライン。一昨日から三女さとちゃんをバイトで雇って、なんとか今日仕上げる事が出来た。やれやれ。今はもう本業(医師)のほうが忙しすぎて、研究日に医療系コンサルなんかはやる時間も余裕もないので、この会社を維持する経済的なメリットは全然ないんだけれど、設立してから15年になるし、こうなったらある意味惰性で進めていくしかないのかな、と。医者を引退したら、この冬眠しているみたいな会社を最活性化してもいいし・・・なんて考えたりして。S公認会計士、わがままなクライアントで申し訳ありません。宜しくお願いします。
もっとも、今まで現役引退なんて具体的に考えていなかったけれど、来年の誕生日の55歳を目前にしてそんなことを漠然と考え始めている自分に逆に驚いた。医師に定年はないけれど、組織には定年があるので、僕もこの先10年くらいからの生活設計をしなくてはいけないのだと今さらながら気付いたのだ。極言すれば、どうやってこれからの人生を楽しむか?ってことだろうし。10年ちょっと先の未来、どこで、何をするか(したいのか)?流れの中でどう舵取りするのかは、すべて自分にかかっている。
夕方からは11月27日予定のライブのチケット作りなど。今年のライブは原宿クロコダイルという老舗ライブハウス。恒例の秋のメインイベントの準備に10月11月は忙しい。
夜は、かみさん、かなP、ゆっつんと4人で自由が丘「トラットリア・チーボ」へ。先週の水曜に行って大感激したので今度は家族で、僕は中3日でリピートになってしまった(笑)。今日も大満足!特に今日は、蝦夷鮑のパスタ!!鮑肝のソースがヤバい味!当分ハマりそうな雰囲気。週に2回行ったら、身体的にも家計的にもかなり厳しいよな(笑)。
September 24, 2011
空を見上げて写真を撮ろう
FBでコンスタントに風景の写真を投稿する人がいて、日本中の季節の移ろいを知る事ができるのは素晴らしい。朝の散歩の写真を毎日投稿する人が何人かいるので、毎朝以前やっていた「ズームイン!朝」的な感覚でその画像を観る事も出来る。朝の空の写真は、眺めているだけで元気が出る。今のデジカメは空の写真はだれでも比較的簡単にキレイに撮れるので、僕もわりと空の写真は撮るようにしている。今の空の状況は瞬間瞬間で唯一無二のもので、一生同じ空を見る事はない。
空を観るということは顔を上に向けるということだから精神衛生上もいい習慣といえる。人間は地面に近いところにいるので、水平方向は比較的見ているけれど上下垂直方向の視野はあまり広くないものなのだ。とくにLow moodの時、人は俯いていて空を見上げる事はしないし、上下を意識していないと一日のうち「空を一度も見上げずに」生活することもある。心理学的には「上を向いて歩こう」って意味あるわけだ。「あの雲の上には絶対に神様がいるに違いない」という、子供の頃から誰もが持っている自然に対するシンプルで真摯なイメージを確認することもできるし。
ネットを通して、様々な素晴らしい夕焼けや月の画像(中には本当に作品として素晴らしいものもある)と出会う機会が増えてきた。「今この時を共有している」というほのぼのとした「つながり感覚」。デジタル的な「掬水月在手」。その感覚は一昔前であれば「バーチャルな連帯感」みたいな接頭修飾句をつけて語られていたけれど、むしろ今の時代ではそれが当たり前すぎて、現実の(リアルの)方の人間関係の大切さを逆に強調されたりする。このバーチャルな繋がり感覚が当たり前という状況では、人と人との距離感は「感性」とか「視点」とか「考え方」などを「いかに共有できるか?」ということが大切になってくるわけだ。それをどうやって人に知らせていくか(アウトプットするか)が、さらに大切なことになるわけで、結局は教育論になってしまうのかも。
画像はi-phoneで撮ったジムの帰り道の夕焼け。空が高くもう完全に秋の空/太陽が沈む直前で、低い空にある黒い雲が揺らいでいた。ここからがつるべ落とし。逢魔が時。
空を観るということは顔を上に向けるということだから精神衛生上もいい習慣といえる。人間は地面に近いところにいるので、水平方向は比較的見ているけれど上下垂直方向の視野はあまり広くないものなのだ。とくにLow moodの時、人は俯いていて空を見上げる事はしないし、上下を意識していないと一日のうち「空を一度も見上げずに」生活することもある。心理学的には「上を向いて歩こう」って意味あるわけだ。「あの雲の上には絶対に神様がいるに違いない」という、子供の頃から誰もが持っている自然に対するシンプルで真摯なイメージを確認することもできるし。
ネットを通して、様々な素晴らしい夕焼けや月の画像(中には本当に作品として素晴らしいものもある)と出会う機会が増えてきた。「今この時を共有している」というほのぼのとした「つながり感覚」。デジタル的な「掬水月在手」。その感覚は一昔前であれば「バーチャルな連帯感」みたいな接頭修飾句をつけて語られていたけれど、むしろ今の時代ではそれが当たり前すぎて、現実の(リアルの)方の人間関係の大切さを逆に強調されたりする。このバーチャルな繋がり感覚が当たり前という状況では、人と人との距離感は「感性」とか「視点」とか「考え方」などを「いかに共有できるか?」ということが大切になってくるわけだ。それをどうやって人に知らせていくか(アウトプットするか)が、さらに大切なことになるわけで、結局は教育論になってしまうのかも。
画像はi-phoneで撮ったジムの帰り道の夕焼け。空が高くもう完全に秋の空/太陽が沈む直前で、低い空にある黒い雲が揺らいでいた。ここからがつるべ落とし。逢魔が時。
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