May 20, 2013

サムライ辺境論

昨夜、「八重の桜」を観ていて思った。
我々日本人って、本当に真面目で
一所懸命に生きるDNAを受け継いでいる

将軍から市井の町人まで
当時の世界標準で言えば
かなり洗練された
文化的で豊かな生活をしていた。

基盤にあるのが教育だ。
どんな社会階層でも
社会的に辺境にあっても
基礎的な「読み書きそろばん」ができるという
驚異的な民度の高さ。

太古の昔から学ぶ事の大切さ、互いに高めあう事の大切さ。
資源のほとんど無い、文化的にも辺鄙な位置にある日本が
生き残っていく為には
人的資源(つまり教育)しかないことを、
我々日本人はDNAレベルで知っていた。

貧富の差があったにしても
みんな「同じ日本人」という
誇り高い精神性と同胞意識があった。

これがまず他のアジア諸国、とくにCとかKと違うところだ。

西欧に伍して戦う
日本を日本たらしめたのは
そのプライドと
几帳面で一所懸命な
一途さだった

昨日の「八重の桜」では、
ちょっと前までちょんまげを結っていた徳川慶喜が
大政奉還したらすぐに、軍服に着替えてしまう。
その変わり身の早さが(そしてそれを受け入れる)
柔軟性(ある意味節操のなさ)が日本的だ。

それにしても幕末の混乱期。
インターネットはもちろんのこと、新聞テレビなどのマスメディアのない時代に、日本国内にどんなコミュニケーションのネットワークがあったんだろう?皆がみんな「忍者」を雇っているわけでもないだろうし。すべて口コミだったのか?あのミミズの這ったような毛筆フリーハンドの親書や手紙が、誤解なく伝わったとはとても思えないし。そんなアウエーともいえる環境で、薩摩にしても長州にしても「辺境」のサムライたちがどうやって天下を穫っていったか?あ、逆か?何らかの方法で優位に情報を握れたから、辺境サイドである薩長が巻き返して逆転したのか?。ううむ、これも非常に興味深い。

はっきりいって「何でもあり」の時代だった。
昨日の友が今日の敵、今の敵が明日の味方
興味深いのは、当時の人たちも意外と変わり身が早いこと。
幕末の浪人なんか「今日からワシは某(なにがし)になる」と
自分で(!)宣言して、別人になっちゃったりしていたらしい。

幕末の混乱期〜明治の世の中への興味は尽きない。