僕は基本的には仏教徒であるが、宗派など特定のこだわりはない(お寺はあるけれど)。人生には様々なことがあり、どんな人生にも良い事も悪いこともある確率で起こるものだ。自分だけ特別にそのbetが有利になるってことはない。もちろん、その逆もない。そして誰でも未来のことはわからない。解らないだけに人はみな「祈る」のだ。
精神の安静安寧を得るために、まっすぐな気持ちで祈ることが「気持ちいい」。大仰な宗教的儀式ではなく、ごく自然に日常的に「祈ること」は「精神浄化」されるプロセスとして古今東西どの社会でもある。祈ることは信じることなのだ。
英語では ritual
宗教的儀式とか慣習 の意味。決め事があることで安心できることもあるという真実。
祈ることは念じることだ。心に念を送ること。
純真な子供がfortuneを祈るのは自然なことだ。
素直に未来に託したくなる気持ちは、大人も子供も同じだろう。===
別稿にて追補予定
僕の手術の時にネットを通して感じた、何千何万人たちの「念」「波動」
手術終了後、すーーと消えた
不思議な体験だった。
安心感、stand by you! という匿名のメッセージ
By-standerという言葉 e.g. 常に隣にいる伴走者