January 23, 2013

祈り、あるいは念について

自分の死を意識するようになってから、ある時期から虚心坦懐に手を合わせることを日常的にするようになった。別に特別なことをするわけではない。日常的に心のなかで手を合わせるのだ。これをすると自然に安心安寧な気持ちになる。すごくシンプルなこと(祈ること)で、すっと(ストンと腑に落ちて)何とも言えない優しいピースフルな心を得られる。

僕は基本的には仏教徒であるが、宗派など特定のこだわりはない(お寺はあるけれど)。人生には様々なことがあり、どんな人生にも良い事も悪いこともある確率で起こるものだ。自分だけ特別にそのbetが有利になるってことはない。もちろん、その逆もない。そして誰でも未来のことはわからない。解らないだけに人はみな「祈る」のだ。

精神の安静安寧を得るために、まっすぐな気持ちで祈ることが「気持ちいい」。大仰な宗教的儀式ではなく、ごく自然に日常的に「祈ること」は「精神浄化」されるプロセスとして古今東西どの社会でもある。祈ることは信じることなのだ。

英語では ritual
宗教的儀式とか慣習 の意味。決め事があることで安心できることもあるという真実。
祈ることは念じることだ。心に念を送ること。

純真な子供がfortuneを祈るのは自然なことだ。
素直に未来に託したくなる気持ちは、大人も子供も同じだろう。
===
別稿にて追補予定

僕の手術の時にネットを通して感じた、何千何万人たちの「念」「波動」
手術終了後、すーーと消えた
不思議な体験だった。
安心感、stand by you! という匿名のメッセージ
By-standerという言葉 e.g. 常に隣にいる伴走者