September 2, 2012

as-a-matter-of-F#CK- toryな話

「携帯電話のなかった時代」プロット 新規追補分メモ
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若者が純粋で汚れてないなんて、嘘八百の神話だ。もちろん若者が「独善的かつ一方的に」的に「汚れちまっった」わけではないけれど。ただ、世の中の常識的な道徳観とか倫理観(のようなもの)は、そんなに単純でわかりやすいものではない。これを大人の階段を登るかなり初期の段階から「どんな子供でも」理解し始めるものなのだ。

世の中はそんなに甘くない

「ピュアなもの:聖なるの」に対する肯定的な立ち位置。(そう!デフォルトとして)。これもちろん正しい。でも実際には(as a matter of fact) そんなに単純なもんじゃないぞ、騙されないように気をつけなくちゃいけない!て、警告が行われることになる。

普通の感性と思考力のあるならば、気づくはずのものなのだ。

この「実際には」とか、「本音でいえば」とか、ぶっちゃけた話…という「本当の話」が
この主人公たちの「さしあたって大きな悩み」だったはずだ。これが、ごく普通の健康な17歳の男の子の生活そのものだったし、彼にとっての最大限の行動のプライオリティは、as-a-matter-of-FUCK-toryだ。この年頃の男は本当に可哀想なくらい単純で、脳の90%はヤルことしか考えていない。

ちなみに、大人になるということは熟れる(こなれる)ことだ。国語辞典によると、「熟れる」(うれる、ではなく、こなれる)って、こういう字であると発見した。へー。