September 29, 2012

5クール終了

昨日で化学療法5クール目終了。嘔気や食欲不振はなく食事も美味しく食べられるのだが(むしろ運動不足で太った)、とにかく終日眠い。あとはダルさ。自分の活動性の半分くらいな感じ。毎日午後4時過ぎまでほとんどボーッとしてる。前回も感じたけど今回はひどいみたいだ。集中力がないし思考力もあきらかに落ちてる感じ。例の薄皮一枚の感じというか。まあ、この時期は何をやってもクリエーティブな発想そのものが難しそう。仕方ないんだろう。昨日は戸塚でCPCに参加、まあそれなりにこなせたか。来週には復活して再起動、原稿書きを再開したいのだけれど。

September 26, 2012

言霊を受けとることが大切になってくる時代

PeterさんのPeterNote
http://amapetas.tumblr.com/post/32260618278

言霊を受けとることが大切になってくる時代

Peterさん、ありがとうございました!

神津先生のe-doctor 記事

e-doctor 10月号
神津仁の各論卓説

http://www.e-doctor.ne.jp/contents/kozu/1210
神津先生に講演会のことを書いて頂いた。尊敬する先輩からの有難いお言葉。

September 25, 2012

台灣魯肉飯Love


こーめい先生から台灣土産を頂いた。わーい、嬉しいな!!
猫目地蔵パワーで、化学療法継続中です(笑)。

September 24, 2012

Karma! なのだ

なぜか以前からこういう場面に遭遇することが多い。救急救命をやってきた外科医としても外出先での突発的な場面に出くわすことも多かった。他の医師と話していても、僕はそういう遭遇率が高い感じ。日頃の行いの悪さって訳ではないだろう(笑)。

俗に僕ら医師はこういうのを「つく」という。例えば、重症の救急の患者ばかりの当直の夜などを「今夜はつく」とか「XX先生はつく」とか表現する。ちなみに、これは日本に限らない話で、これを欧米の病院ではKarma(カルマ)と言う(医師間では悪い意味ではない)。

これまで、新幹線を豊橋で緊急停止してもらった50歳代の男性のケース、シンガポール航空で突然の下肢痛のインド人の70歳代の女性。この人は結局成田に着くまで。そのまま病院へ入院。後日SQからワインが届いた。たまたまLAXで知人の見送りに行ったゲートの所で昏倒した搭乗予定のカナダ人70歳代の男性。この時はたまたま僕の他周囲に居た僕(外科医)、カナダ人医師(小児科医)、アメリカ人看護師の3人のとっさのCPRをした。それぞれ名乗り出て、各自の仕事をしてチームに引き継いだ。その後は「はいっ、おつかれさん」って別れた。我ながらカッコよかった(笑)。

ちょっと前では田園都市線の車両事故。たまたま乗り合わせた。ラッシュで大混雑の時間。桜新町のちょっと前で電車が止まってしまった。混んだ電車で気分が悪くなる人多数。いわゆるパニック障害の既往がある(と本人が申告する)人が何人もいるのに驚いた。救急車8台出動。現場指揮がたまたま家の所轄の消防署だったので、「あれー、先生なんでここにいるんですか?」と、逆に驚かれた。大混乱のわりには、幸い重傷者もなく撤収。消防庁から感謝状の話があったけれど、丁重にご辞退した。


September 22, 2012

めぐろパーシモン


さなメモ:

 野田佑機さんブログ
Learn by doing

佐藤正之さんまとめ

横井克裕さん(Bingo君)

「ぐうたら忘備録」りみっとさん

Sand & Gem 講演会 2012-9-19

病気が判ったかなり早い時点から、自分が死をどのように受け入れていったのか、できるだけ正直に記録に残しておこうと考えていた。とくにそれが医師としての自分の役割なんじゃないか?と。中学後輩の横井君(BINGO君)が快く今回の講演についてプロデュースをしてくれることになった。彼の他に(しらべ)調さんと宝塚関連(従姉妹たちとの期が近い)のお友達、20年来のNiftyserveの友達(淳子さん、淳ちゃん、鳥羽さん)はじめ多くの友人達の協力を頂いた。その他、映像記録関係では翁長さん、吉澤さん。みんな手弁当で集まっていただいた。みんなプロ。これは本当にほんとうに有難いことだと思う。これもすべてご縁なのだ。

150人くらいで一杯だなって…思っていたら、僕らの予想を遥かに越えて200人以上の方々に集まって頂き感激しきり。会場も快適だったしTED形式のプレゼンは全然リハーサルをしていないにも関わらずとても話しやすい設定で良かったと思う。

今回のように原稿のないレクチャーの場合、講演内容については、僕があれこれ書くより僕以外の人たちが講演を聞いてから書いてくれたもののほうがわかりやすい(笑)。今回は少しクールダウンしてから改めて文章を纏めるつもりです。

講演とその後は会場とのフリートークへ。石川淳也さん、佐藤尚之さん、佐々木かほりさん、スズキイチローさん、内藤誠治さん・・・さらに」終演後はロビーで来ていただいた多くの方々と話をすることができた。至福の時間。こういう場を持つことができた幸せ。そしてその場と時間を共有できた喜び。有難いありがたい。僕は幸せものだ。


ばいきんまん♡

ばいきんまん(柔道・奥沢スペシャルバージョン)
柔道マン・鹿川くんの力作!ありがとう!

September 15, 2012

FMサルース


2012-9-16 日曜日

FM Salus (84.1MHz)  FMサルース ポットラック・ガーデン
香月よう子さん の番組。サテライトスタジオ生放送に邪魔します!
久しぶりの生放送(笑)わくわく。

9/21 開催予定のSand & Gem講演会のご案内です
みなさん、よろしくどーぞ!

荻窪春木屋(中目黒店)

じょうじ君と中目黒「荻窪春木屋」へ。やっぱり僕はデフォルトとしての「支那そば」クラシックが好き。今日も大満足うまうま。

September 10, 2012

僕らは喫茶店で何をしていたんだろう?

1975年recallシリーズ。

通常のコーヒーをホットといった。薄いホットコーヒーを「アメリカン」といってた。冷たいコーヒー(アイスコーヒー)には、ガムシロップとクリームを入れる。瓶に入ったコーラは氷で薄まっておいしくなく、量もあまりなくて薄いレモンが何故か入っていた。レモンスカッシュはちょっとオシャレ感覚があった(錯覚なのだけれど)。必ずチープな合成着色料の真っ赤なチェリー(缶詰)も入ってた。どの店もあの美味しくないあのチェリーがお約束だった。デートで食べたの食べないのとか、どーでもいいことが話題。そういえば、あのチェリーがなくなったのはいつなんだろう?

一時期、アイスココアが流行ったことがあった。目先の利いた商売感覚のある人がこれだ!って、流行らせたんだろう。あの夏半年くらいは男子も女子も原宿周辺では猫も杓子もアイスココアを飲んでいた(と思う)。

喫茶店。2時間も3時間も僕らは時間を過ごした。「だべっていた」という言葉があった。今の若者とは全くちがった時間の使い方だろう。当時はとにかく「話をする」ことが 基本にあったんだと思う。今、スターバックスやサイゼリアに長居しているのも、集団で入ったとしても「個人」なのだ。

下らない、とりとめのない会話ばかりをしていたことは間違いない。しかし、その中からすごく大切なものを学んで糧にしてきたことは事実だ。喫茶店の会話の中から、様々な悩みとか気づきを共有して、議論したり質問したり喧嘩したりしつつ、成長したこのとは間違いない。結構な授業料を払ったけれど、ある意味安いもんだ。

僕らは喫茶店で何をしていたんだろう?

September 9, 2012

Sand & Gem講演会 the Final Call


  • めぐろパーシモンホー
  • 55歳、医師、ミュージシャン、ブロガー...
    marc の講演会です。

    生来健康で超元気。毎日を全速力で走っていた(はず)だった僕は、ある日突然脳腫瘍(神経膠芽腫)と診断され、自分の死と直面することになりました。

    近い将来の不可避な運命として、自分の死が迫ってきているとしたら、あなたはどうしますか?どんなことを考え、何をするでしょう?

    僕が今何を感じ、どんなことを考えているかを、できる限り自分の言葉で皆さんに伝えことが出来れば、と考えています。
     
    めぐろパーシモンホール
    http://www.persimmon.or.jp/know/access.php

    開場:18:30
    開演 : 19:00  
    参加費:1000円(予定)

September 7, 2012

人生シアタープログラム

振り返ってみて
僕の人生にも
大切な転機や
幾つかの決断があった

今考えてみると、
多くの場合、自分でもがき苦しんで
得た答えが、必ずしも究極のソリューションというか、
「求めていた答え」というわけでなく。。。

むしろ自分の知らないところで動いている何かのほうが
「それを」決めていたのだという真実に
驚くことのほうが多い

当然の帰結のように
ごく自然の流れのなかで
落ち着く所に

運命論というか
宿命論というか

人生の流れはすでに決まっていて
自分の関与できることは
限られている

自分の与えれれた宿命
自分の使命
生きている自分が
実現すべき「何か」

悩みに悩んだとしても
実は初めから
道は定まっている
大きな流れの中で
流されてゆく

だからそれを
「受け入れる」ことは
決して「負ける」ことではなく

自分の強さと弱さを十分わかった上で
呵々と笑いつつ
流されてゆく
流されてゆく

この真理を知って初めて
安心安寧の境地に至る道筋が
見えてくるのではないか?

September 6, 2012

順調な経過で吉兆うまうま

荏原病院でフォローアップMRI。2ヶ月ぶりのMRIでインターバルのチェック。約40分間爆睡しているうちに無事終了。お陰様で順調な経過みたいだ。一患者として現状をクールに振り返ってみても、また、医師というひとりのプロとしても、これ以上ない位順調な経過といえるだろう。土居先生、青木先生、こーめい先生ありがとうございます!もちろん、日々の生活で僕と家族を支えてくれるスタッフのお陰です!有難いです、心より感謝してます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

さて夜は、一昨日のリベンジ(臨時定休日だった)ということで、小雨の第三京浜を飛ばして、こーめい先生と横浜中華街「吉兆」へ。あさりそば。以前から尚子から超美味しいと情報があったのだけれど、実際食べられたは今日初めて。さすが定番。想像通り&大満足の浅蜊スープだった。うまうま。

梨は女性名詞

果実の中で、梨が一番好きだ。今の季節、キンキンに冷たく冷やした梨に齧り付く幸せ。
上品で清廉んで甘美な果実。あまり自己主張をしない、細やかで嫋やかな果物。
アジア的なセクシーさ、といえるか。

今日梨を頬張っていて、梨は女性名詞だろうなと、ふと思い立って調べてみたら、女性名詞で -poire-(ポワール)とのこと。日本や中国産のは男性名詞で-nashi(s)-(ナシ)と名称する。らしい。ちなみに、「梨」には「愚か・愚か者」という意味があるらしい。どうも、梨の実が熟れると落ちてしまうことから 騙されやすい人とか、うぶな人との意味がるらしい。ま、でも、これは何となく解る気がするな。一般的な「上品な比喩」として、だけれど。

梨そのもの持つ危なさ、異うさ、何か惑わすイメージは、「もも」とか「すもも」のあっけらかんとしたストーリー性とは全然ちがう。

果実の中でダントツで梨が好きだ。

クリムゾン、イーグルス、ポパイ、西海岸、深夜放送

1975年。高度成長期後期。その後のバブルにむけて爛熟する「前」の、右肩上がりの日本。子供は子供なりに、大人はオトナなりに、それぞれの「場」と「立場」があった。その意味では、日本が有史以来最も豊かで将来の不安もなく、未来への希望に道開あふれていた時期といえる。 

生まれてから大きくなるまで、終戦直後からアメリカ文化の洗礼をうけている世代。アメリカの工業力。圧倒的な技術。アメリカ製品の無条件での安心感と信頼性。アメリカ文化へに憧れは、たぶん1950年代のテレビ文化(パパは何でも知っている、アイ・ラヴルーシー…の影響が大きい。そして万博以降はどんどん自由度の増した社会での「軸」になっていく。

ブリティッシュロック。クリムゾン・キングは1969リリース。兄貴世代からボクらの世代に届くまでには、あの時代では6−5年かかっている。プログレッシブロックというものの世界は「別の世界」の入り口なんだろうな、と勝手に思い込んでいた。日本特有の喫茶店文化についても言及する。表参道、公園通り、渋谷、自由が丘など。

イーグルスの登場は1971年デビューだが日本でのヒットは1975年「呪われた夜」。いわゆるウェスト・コースト・サウンドの乾いたサウンドに夢中になった。それまでの、VAN をスタイルとしたアイビー(カントリーウェスタン)文化が、「なんとなくウソっぽい」自分のライフスタイルになりえなかったのに対し、1970年代後半になってやっと「こなれてきた」感じがあったのだ。

エポックメーキングな雑誌、POPEYEの創刊。1976年。当時の男の子のかなりの%が影響をもろにうけているはず。あこがれのライフスタイル(完全にMHの戦略にほとんどの日本人は何の疑問もなく騙されるわけだけれど)。サーフィンに(素直に)ハマる人多かった。西海岸経由でアメリカ文化に留学、遊学、海外への道筋がぐっと広がった。(バブル前の)猫も杓子も、の時代・・・・・時代の元気があった。いい意味でも悪い意味でも、戦後アメリカ資本主義の選択と変化が始まった時代。

しかし、その意味からはまだまだ選択は少なかった。まだまだみんな同じ物を着て同じ同じようなライフスタイルとお仕着せの「ファッション」に「心地良く」騙されていた。オピニオンリーダーの視点で一般大衆は右往左往した。1975前後、当時はそれが快適だったのだ。

雑誌ではGORO:路線が異なるが「激写」など、ヴィジュアル的に斬新。「確実に時代が変わった」事を感じさせた。それまでは「セクシーであること」は「ほんのりとした後ろめたさ」のようなものがあったのに対し、この時代ころから変わった。ビニ本的な暗く淫靡な文化は、はっきりと「あっちの世界」の話となった気がする。つまり選択の幅が広がった。

どうしても追加しておかねばならないのは、ラジオの深夜放送について。全盛の時代。ニッポン放送、TBS、文化放送の3局のどれかをだれかが聴いていた。この時代の聴取人口を考えてみると、今では信じられないようなことがおこっていた。何百万人も若者が孤独な夜でラジオに耳をかたむけ、共通の話題に泣いたり笑ったりしたことだろう。これもある意味、歴史的にも文化的にも、あの時代の日本にたまたま起きてしまった非常に「特別な仕組み」の出来事なだろう。さらに要考察。

そんな状況で、僕らはかぜさんと出会うことになる。まさにご縁なのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小説:携帯電話のなかった時代、再構成中。


September 4, 2012

Heading the right direction!

長女かなPがお見舞いに。病室で久しぶりにゆっくり話がで来て嬉しかった。27歳。社会に出てある程度時間が経ち、社会人としての常識や面白さもわかってきているのだろう。薬剤師としても、もちろん女性としても、自信らしきものものがてきているが親として嬉しい。

もともと頭の回転の早い賢い娘なのだ。父として「人生の話」をする機会なんて、それほど機会がないのが普通だろうから、それだけでも十分幸せなことだと思う。抽象的な言い方だけど、彼女がちゃんと「人生の正しい方向性right direction 」を理解していることが判ったことが何より嬉しかった。今日は、将来のこと、仕事のこと、ボーイフレンドのこと結婚の事など…。まだまだ彼女のは「各論」では伝えておきたいことも多数(笑)あるかも。でもこういう穏やかな時間を娘と持つことができて、本当に幸せなことだと感謝。時間が有限だからこそ、人生って面白いのだと。

September 3, 2012

ジャケット写真1974・1975_原宿



ジャケット撮影
 あらきふじお、和田良一
1974-1-20  1975-4(日付不明)
原宿、公園通り(NHK放送センター周辺)

「携帯」プロット 1974年暮れから1975年春のエピソード
当時の空気感がそのままそこにある。このシズル感は…

September 2, 2012

as-a-matter-of-F#CK- toryな話

「携帯電話のなかった時代」プロット 新規追補分メモ
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若者が純粋で汚れてないなんて、嘘八百の神話だ。もちろん若者が「独善的かつ一方的に」的に「汚れちまっった」わけではないけれど。ただ、世の中の常識的な道徳観とか倫理観(のようなもの)は、そんなに単純でわかりやすいものではない。これを大人の階段を登るかなり初期の段階から「どんな子供でも」理解し始めるものなのだ。

世の中はそんなに甘くない

「ピュアなもの:聖なるの」に対する肯定的な立ち位置。(そう!デフォルトとして)。これもちろん正しい。でも実際には(as a matter of fact) そんなに単純なもんじゃないぞ、騙されないように気をつけなくちゃいけない!て、警告が行われることになる。

普通の感性と思考力のあるならば、気づくはずのものなのだ。

この「実際には」とか、「本音でいえば」とか、ぶっちゃけた話…という「本当の話」が
この主人公たちの「さしあたって大きな悩み」だったはずだ。これが、ごく普通の健康な17歳の男の子の生活そのものだったし、彼にとっての最大限の行動のプライオリティは、as-a-matter-of-FUCK-toryだ。この年頃の男は本当に可哀想なくらい単純で、脳の90%はヤルことしか考えていない。

ちなみに、大人になるということは熟れる(こなれる)ことだ。国語辞典によると、「熟れる」(うれる、ではなく、こなれる)って、こういう字であると発見した。へー。

September 1, 2012

碧翔学園高校校歌(架空の高校校歌)


7:48  TOSHIMITSU HATTORI  

バーチャルな高校(県立碧翔高校)====================

小説「携帯電話のなかった時代」プロットより
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清(さや)けき 淵の
木漏れ日に
優しき花々 咲き満ちる
友と 途行く その先に
耀(あか)るき 明日 
皆 輝けと

空高き 峰の
気高さに 
心 洗わる 早朝(あさ)の途
四季を 彩る 名も知らぬ
草木の 真実(まこと)
究めんと

未だ見ぬ 広き 大海に
漕ぎ出す 勇気 持ち続く
この日のために 励みつつ
涙も 誰のため でなく

清き 流れの
風波(かざなみ)に
友と 戯むる 放課後に
昂ぶる 心 その先に 
輝け 我(わ)らの
学び舎で

未だ見ぬ 広き 大海に
漕ぎ出す 勇気 持ち続く
この日のために 励みつつ
涙も 誰のため でなく

(2006年、作詞:松村光芳 作曲:篠根丈二

餃子Love

宮崎台「北京」の餃子。急に餃子が恋しくなり、夕刻より、こーめい先生と行ってきた。ここんちは斎田&高山両船長に教えてもらったお店。街のふつうの中華屋さんだけれど、ふつうじゃない技量。餃子好きは多いし、ある意味どこで食べてもそれなりに美味しいことが多いけれど、ココんちは一線を画す。サイズやや大きめ。餡は軽めだけれど十分なボリュームでしっかり。完璧な時間と火加減で、カリッと焼けた皮が秀逸。この写真だけでどのくらい美味しいかわかるはず(笑)。