August 28, 2012

僕らの時代(追補変更、8/27)

55歳。1957年生まれ。太平洋戦争後の日本の復興期に生まれ、戦後の自由主義経済の恩恵を一番享受した世代。今考えてみれば、日本という国の様々なシステムが「完成形」に向けて恐ろしいスピードで進んだ時代だった。もちろん、その当時は高速で走っている自動車が自分の速度を意識しないように、イケイケで進んでいたのだけれど。

確かに日本の大量消費社会は成熟から爛熟へむかった超「熱苦しい」時代だった。その果実を実体験として持った世代なのだ。「僕らの時代」は。昭和40年からバブル崩壊。そしてその後の情報洪水の時代。この時代、本当に面白い激動の時代だったのだな。

あの昭和の時代、「ちゃんとした」「しっかりした」基本的構造は「どこか他のところ」で「自分以外のだれかが」しっかりとやってるはずだ、という根拠のない自信がどこかであった。そういう共同幻想があったんだと思う。

無我夢中で一所懸命やることの大切さ。つまりあの時代の一途な思いが日本があそこまで行く事ができた原動力になっているのは確かだ。情報の非対称ももちろんあるけけれど、流れる情報の量も質もその後は全く変わってしまったのだから。

昭和40年代の高度成長期
万博
どんどん豊かになる日本
バブル
バブル後
パソコン時代
ネットワーク

書き止めておきたいこと多数(だけど全然追いつかず/w)。

さとなおくん、ともPの二人の論客との対談2時間。個別の事例も面白かったし、気づきも多数。今日もいっぱいインスパイアしていただいた。ありがとう!

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追補(変更)
今夜(8・27)のニュースステーション。浅田次郎と古館キャスターの話。僕とほぼ同世代。我々は戦後資本主義社会の最も幸せ時代を生きた稀な世代であった事。これは前述したとおり。前項では「その先」については言及しきれていなかったと思う。

彼らの指摘通り、原発問題を経て僕ら(あの幸せな時代を享受した我々世代)には次に続く世代へ繋ぐ責任があるのだ、と。日本が世界に冠たる技術力をもって今こそやるべきであるのだ。その「変えるべき未来への舵取り」を託されたのが「我々の世代」のだと思う。責任は重大だ。