June 16, 2012

なまぐさ坊主の独白

正直に告白すれば、もともと「仏教もの」というか宗教系思索考察に関しては、自分なりの立ち位置とかこだわりは持っていたのだ。

若い学生時代も、医者になってからも、大体定期的に「発作的ともいえる仏教本ブーム」があって、それなりにハマったこともある。ただし、カルトは論外としても、特定の宗派に関する興味は全然ないだけでなく、既存の葬式仏教的態度がデフォルトになっていることに対する嫌悪感や不信感があって、最近ではむしろ否定的に近い「固くな態度」をとってたのも事実。好きなのに嫌いというアンビヴァレンとなかんじというか。でも、まあ、この年齢になればセレモニーも含めた「常識としての仏教」の知識や「現代に生きる日本人のごく普通の死生観」について興味がむくむくと湧いてくるのも自然の流れなんだろう。

今回の病気で僕が死と直面していることが大きいのではあるけれど、こんな状況とはいうものの、ごく普通に生きているということを実感できるという「幸せ」。
もっと広く深い意味での死生観&世界観へ向かう扉が少しだけ自分に向けて開かれたような実感がるのだ。非常に抽象的で曖昧である意味では情緒的な「感覚」「体験」なのであるけれど。

ということで、
一昨年出会った「釈徹宗:いきなりはじめる仏教生活」、「いきなりはじめる浄土真宗:内田樹・釈徹宗」を読み返してる。3回目。現代的解釈のこの「軽さ」(実は非常に重く深い世界観なのだけれど)をさらりと出す「気持ちの良さ」が魅力だなあ。

以上、プロローグとして。