要は「吐き出す」ことなのだ。あえていえば、「吐き出し切る」ことか。
古今東西、様々な理屈をつけてそれらしい「理論」らしきものが数多あるのだけれど、つまり言っていることはただ一つ。
吸ったら吐け。十分に吐き出す。
「吐き出すこと」それだけ。
ピリオド。
例外なく、精神的に辛い時には「息を詰め」呼吸を止め、重い深い「ため息をつき」、下を向き、表情が消える。
程度の差こそあれ「それが自然な反応」なのだ。それが苦しみのもとなのだ。苦しむために苦しむ、という堂々巡りに陥る。
逆に、笑っている時は大いに「吐き出している」。というか息を吸いながら笑うことはできない。大泣きをしながら大きく息を吸っている人はいない。当たり前のことなのだ。要は意識して「身体から出す」こと。辛く苦しい時ほど無理矢理にでも「出す」べきなのだ。
吐かないから苦しくなる。緊張収縮vs弛緩脱力。吐いちまえばいのに、飲み込んで呼吸を止めてしまう。反作用で繊細な人は逆に過換気になったりする。これも防御反応なのだけれど。精神的安寧のためには、入れることより出すことなのだ。逆に、出るものが出るので自然にはいる。
「苦しんでいる」のは、苦しまされている(苦しめられている)のではなく、自分から苦しみの渦の中に入っているのかもしれない。