October 17, 2011

プロ市民のイヤらしさ

朝の通勤時間。7時すぎの「人身事故」で、田園都市線たまプラーザで足留め。大混雑で1時間かかって自由が丘へ。月曜の朝からくたくたになってしまった。ただ、皆イライラしつつも、皆その不機嫌を顔に出さず実に寛容で我慢強い。「起こってしまった事は仕方がない」という諦念と我慢強さ。混乱の中でも秩序を守り通そうとする日本人の特性というのは、つくづくユニークであると思う。昨今の日本人には矜持がないとか倫理観や道徳観が低下していると言われ続けているけれど、どうしてどうして、大したもんだと妙に感心したりして。311の大震災に際しても世界中の人たちが感嘆したこの日本人の特性を、もっとアピールするべきだと思う。それがこれだけ安全で平和で安心できる日本の社会の基礎なのだ。

さはさりながら、原発事故に関連するムーブメントについて、先日の産經新聞で宮嶋茂樹が「プロ市民」について書いていた。これに関してはまったく同感。市民運動という名前の「言いたい事を行ってやるべき事をやらない」連中には多分自覚(病識)は無いんだろう。今朝の例で喩えれば、人身事故を起こす(予防できない)状況を鉄道会社を糾弾し、さらにはその後のモロモロの対応のまずさを指摘非難(しようと思えばいくらでもツッコミどころがある)し、鬼の首を取ったように声高に自分たちの権利を叫ぶんだろう。しかもプロで職業にしている。古典的な「やくざ」と同義。僕はこういう連中は本当に嫌いだ。

翌朝の追補:
そうそう、ここで昨夜書こうと思っていたのは、「ウォール・ストリートを占拠しよう」運動のイヤラシさ&胡散臭さについてなのだ。格差社会の不平等について、99%の市民の権利を訴える運動。もちろん一見正論(正面きって反論するにはかなりの覚悟がいる)なのだけれど、実に浅薄で表層的な感じがする。プロ運動家の扇動(先導)に踊らされているし、おバカなマスコミがさらに煽り立てるもんだから、勘違いする輩も多い(というかほとんど)だろう。ファッションというか。デモに乗じて商店を破壊するようなアナーキズムに走るバカも出てきた。格差社会を否定するためには、自らの住む自由競争社会の恩恵も否定しなくてはいけないのだけれど、それほどの覚悟があってやっているようには見えないのが皮肉。言論の自由がある欧米&アジア先進諸国での活動のあほらしさ。サイレントマジョリティの「思い」が世の中を動かすまでには、かなりの年月が必要なのだ。これが本当に革命にまで進行するリスクがある(たぶん少ないけれど)のは、言論の自由のない中国などの超格差社会だろう。