September 30, 2011

「清く正しく美しく」だけじゃないとすれば(メモ)

世の中のほとんどの物事は、人々の「善意」と「信頼」のもとで、スムーズに流れている。つまり、なんだかんだ言いながらも我々は正義を信じられる公平で公明正大な世の中に生きていて、これは素晴らしいことだ。そういう「正・善」の生活のなかで、人生っていろいろな小さな悩みや様々な辛い事があったとしても、「そんなに悪いもんじゃない」って皆思っている(と思う)。でも99.9%がそうだとしても、0.1%くらいの確率(もしかしたらもっと少ないだろう)で、人間の持つ「悪意」とか「裏切り」のような「邪」によって「最悪最低の出来事」も起こるのも事実。

大人になると、だれもがその事実(世の中は清く正しい論理で動いているけれど、とんでもなく邪悪な事も実は密やかに起こっていて我々の生活をいつ脅かすのか判らないというコワさ)を知ってしまう。皆が争うことなく、健康に豊かに、自然の中で生きていく事が出来れば、法律や掟や決まり事はいらない。たぶん「習慣」とか「風習」という「文化」だけで皆は幸せに生きていけるはずだ。極めてプリミティヴな「ユートピア」思想。でも、それはもちろん幻想で、をの社会の空間軸と時間軸の中で、不可抗力の「トンでもない事」(例えば今年の311の大震災)が起きてしまうし、予想もしなかった人間の邪悪な行動が社会を脅かすことになる。とすれば、やむを得ず「決め事」をするしかないし、社会の「罪と罰」と定義してそれを執行する組織も作る事になる。だからこそ政治というシステムも必要になるのだな。日々見聞きする辛い事件や出来事を知り痛感する。

えーーっと、何を書こうとしたのかオチを忘れてしまった/w。 

ということで、メモランダム。

今夜はかみさん&ゆっつんと神保町「くろぶたきよし」。ここんちの薩摩六白黒豚しゃぶしゃぶは大満足のヤバい味だ。クセになる。