ちょっと前のログにも書いたけれど、僕らの世代の子供の頃は太平洋戦争はスゴく身近で、ほんの少し前の出来事だった。東京オリンピックの1964年頃までは大きく変わったのだけれど、それまでは「戦後何年」というイメージで括られる時代だった。1945年8月15日のリアルな感じはもちろん体感としては判らないが、心情的な喪失感や絶望感や開放感や未来への期待感など、親達の世代から受け継いだDNAに深く刻み込まれている気がする。だから「終戦記念日」というと、無意識に背筋が伸びてしまう。大変な苦労をして、その後の日本の高度成長期の立役者となった我々の親達の世代も多くが鬼籍に入る年齢となった。彼らは大変な苦労をしたとはいっても、その成果である果実はしっかりと得た世代であり、僕らこども世代もその「おこぼれ」を十分もらったのだけれどね。戦後66年も経てば、当然風化するものもあるのだろうけれど、語り継がなくてはいけないものもある。今年も永遠のゼロとか、日輪の遺産とかを読み直してみるかな。
この「敗戦」という日本社会の大変換と同じ暗いインパクとのある大事件が2011年に起こってしまったのだ。マグネチュード9.0の大地震、100年に一度の大津波、そして人災である福島第一原発の放射能漏れ事故(敢て事故と呼ぶけれど)。この「今ここにある危機」Clear & Present Dangerに、どう我々世代が対処したか?が問われている。この先の日本の未来に直結しているし、続く世代の日本人のためにも禍根を遺すことがないようにする責任がある。