今回の震災においても、様々なボランティアが活動している。ずっと昔から日本には困った人たちに寄り添って、自分の出来る範囲で助け合ってきたという麗しい文化的素地があった。「困ったときはお互い様」というカルチャー。様々な文化的宗教的な違いはあるとしても、日本に限らず世界中のコミュニティにあるはずだ。今回の大災害とその被災者たちの悲惨な状況を見聞きすると、自分でもなんとかしてあげたいと思う気持ちは自然だし、素晴らしい事だと思う。関西淡路大震災が日本のボランティア元年といわれている。たぶん社会的システムとしての「ボランティア」が日本の世の中に認知されたのはあの頃だったと思う。
今回の震災でも多くのボランティアが被災地に行き、人の役に立つべく頑張っている。人が人の役に立つことを考え行動している姿は美しい。でも、きょうの朝のニュースみたいなことも起こっている。すごく残念なことだ。ボランティアの気持ちに上手く対応できるシステムができないものなんだろうか?それを少しでも有機的に結びつけよう!という趣旨の「助けあいジャパン」は、新しいソーシャルメディアの実験的な試みなんだと思う。走りながら考えて進んでいる感じ。
今日感じたのは、ちょっと別の問題。「最大多数の人の力を結集して、世のため人のためになることをする」というボランティアの立ち位置を守り通すためには、政治的にも宗教的にもニュートラルでなくてはいけないと思うのだ。でも大災害においては、各種の公的な団体NPOやNGOだけでなく、宗教団体や政治団体も動き始めている。もちろんそれぞれの団体において「悪気はない」わけだけれど、自分たちの信条である特定の価値観を(無意識のうちにでも)押し付けようとする団体や組織に対して与する事は、絶対に避けなければいけない、と思うのだ。僕は基本的には仏教徒(なんちゃって、だけどね)であるけれど、クリスチャンもムスリムも寛容するべきだと思う。でも(本人達は意識していないけれど)被災者の傷ついた心に土足で入り込むような新興宗教や政治団体にはきっぱりとNOと云わないと、せっかくの存在意義が問われてしまうと危惧するのだ。一見、親切で極端に「いい人たち」の集団にはとくに注意が必要かと。自分たちが実は宗教団体/政治団体だなんてぜったいに一は言わないし。まあ怪しい宗教団体の場合「目があっちの世界に行っちゃっている」人が多いので、ふつうは気付く筈だけれど、巧妙な集団も多いからねえ・・・。