「三島由紀夫と戦後」(中央公論特別編集)。ともPから頂いた本。オフィスに置いていて時間がある時に読んでいた。本日読了。没後40年。三島について改めて振り返るという企画は、あの時代を共有したどの世代人にとっても意味があるだろう。様々な人たちが三島について述べている。ときに難解で、軽く流せない内容もあって、言葉を咀嚼しながらゆっくりと楽しみながら読んだ。こういうMookもアリだと思う。自分の中では「仮面の告白」とか「豊饒の海」とか「金閣寺」とか、三島は遥か遠くにある、偉大な作品をかいた「大作家」というイメージしかなかったけれど、わりと軽い戯曲を書いたり映画に出たりサブカルチャーに向かったりと、多面性のある人だったんだな。子供心に三島の名前は知ってはいたけれど、不気味なオジさんというイメージが強くて、あの自決事件は中学生の頭には理解不能の(というか、思考停止の)事件だった。石原慎太郎との対談を読んでいると、三島という人の意外な一面が、今新鮮で面白い。この歳になって三島に対するイメージが少し変わった気がする。亡くなったオヤジと同い年なので、今生きていれば84歳だ。生きていれば、どんな爺さんになっていたんだろう。きっと胡散臭くて五月蝿いジジイになっているんだろう。それを見たかった気もするし、そんな三島は見たくもない気もする。
あの時代に出現した「異形の天才」というキャラを彼は「演じていた」のだろうか???明晰な頭脳と膨大な知識から繰り出される豊潤で華麗な文章。本質は繊細で神経質な性格、現実的にはへなちょこだった自分の貧弱な肉体とのアンビバレンスに拭い難い強烈な劣等感がある。ナルシストでマゾヒストでバイセクシャルという倒錯した性向も彼を苦しませただろう。本の中の三島の写真を今見ていると、かなり痛々しい感じ。
そして、45歳という年齢での自決。当時、僕は中学1年だった。授業中から外が騒然としていて、パトカーの音やヘリが飛び交って「何かが起こっている」と教師が教員室へ行って、皆テレビに釘付けになっていた。だれかが「クーデターが起こったらしい」という情報を持ってきて、僕らのいた神保町は市ヶ谷から距離的に近いので、授業が中止になって昼から帰宅させられたのだった。日本はすでに高度成長期に入っていたけれど、学生運動が似非左翼的市民運動の「ファッション」として(若者達のお祭り騒ぎの理由として)まだ黙認されていて、戦後20年以上経ていてもまだ空虚な戦後の空気が残っていた不思議な時代だった。
おお、そういえば不思議な縁で、三島(本名、平岡さん)の子供達は僕と同じ小学校で、たしか3年くらい下だったと思う。運動会に三島が来ていたことを、当時の親達が噂していたのを憶えている。当時すでに有名作家であった彼も、そんなキワもの扱いをされていたのだ。日本のマスコミもまだ成熟していなかったし、僕らの親達もそのくらいにしか彼を見ていなかった。松本清張(左翼&社会派ミステリー)とか瀬戸内晴美(寂聴)とか梶原季之(エロ小説)のほうが一般受けする人気作家だっただろうし。「彼は特別」的な扱いだったのかも。そんな孤高の感性と頭脳を持ちながら、俗悪で邪悪で醜態なるものへの憧憬がある。それが彼の苦悩の一端を表しているのかもしれない。当時の時代を今改めて振り返り、自決した時の三島の歳を自分がはるかに越えてみると、むしろ「滑稽で可哀想な人だ」という気もする。「三島由紀夫と戦後」であり「三島由紀夫の戦後」ではないのが編集者の意図なんだろう。面白く読んだ。
午後からはジムで20本1000m。今日はプールがガラガラで気持ちよくノンストップで泳げた。サウナでまったりしてたら、なぜか無性に春巻が食べたくなって、かみさんにメールして久しぶりに自分で作る事にした。結論から先に言えば、10本作ったうちの3本は「爆発」してしまったし、ちょっと脂っこかった。味は最高に美味しかったけれど、爆発した失敗作はどうしようもない(笑)。①具をしっかりと冷やすことと、②トロミを付けて水分を少なめにすること、③皮を巻く時に具の空気をきっちりと抜いて160度くらいの低温で揚げること。それを怠ると、「爆発」するってことは以前に失敗して経験済だったのに、調子にのってすっかり忘れていた。それにしても、昭和40年代に銀座にあった「第一樓」の巻き揚げ(たぶん、今考えてみれば湯葉巻き揚げ)は、美味しかったなあ。それを再現したいんだけれど、揚げ物は本当に難しい。
さあ、アジア・カップ。厳しい試合を通して我がチームが日々成長しているのがわかる。悔いの残らない試合をして欲しいと思う。