January 5, 2011

郡を抜いてトンがっている才能に対するレスペクト

最近の通勤のお伴は、「遥かなる未踏峰」ジェフェリー・アーチャー。アーチャーの著作は「100万ドルを取り返せ」や「ケインとアベル」より今に至るまでたぶんすべて読んでいる。この人は、長編小説>短編集>数年のブランク>短編集>長編小説のサイクルで出していて、その魅力的な登場人物と小説の構想力とストーリー展開の巧さ、、イギリス人らしい軽妙で知的で刺激的なユーモア溢れる会話にいつも「むふふ」と唸りつつ、どんどん読み進んでしまう。今回の小説は天才登山家のジョージ・マロリーが主人公。彼と彼を取り巻く20世紀初頭のイギリスのハイクラスの人たちの生活を垣間見せてくれる。産業革命と「文明化」を武器に、彼らがあんなに小さな国なのに、どうして世界を席巻していったのか?彼らアングロサクソンの(ある意味、鼻持ちならない)独善的なプライドと世界一を目指す向上心や競争心はどこから来るのか?など、まだ読んでいる途中だけれど、少し理解できたみたいな気がした。この小説は当時のイギリスのエリートの話だ。

いうまでもなくポイントは教育システムだ。同じ時期の日本の状況は、イギリスより遥かにリベラルで日本人のすべての社会階層に「明るい未来を信じて」自分を高めるべく勉強していた。イギリスが「選ばれた人たちに最良の教育を」ということにフォーカスしたのに対し、それと同じくらい日本では「いかに底辺を広げて高めるか」にフォーカスを持ってきたことが特徴的。もう一つの観点は、イギリスの極めて保守的といえるインテリジェンス階級においては、ジョージ・マロリーのような「群を抜いてトンガッた才能」に対してのレスペクトとそれを活かす道を用意するだけの懐の深さがあること。逆に日本ではそれはイギリスに比べると「協調性のない特異な才能」のキャラは疎んじられる傾向があったかもしれない。だから当時の日本の選良たちは、そのほとんどが軍人か役人か学者になった。どれもきっちりしたマニュアルがあるから。いずれにしろ、あの時代の人たちは「熱かった」わけだ。小説のこの先が楽しみ。