昨年暮れに急逝したオヤジの一周忌の準備をしているせいか、最近オヤジのことをふと思い出すことが多い。彼との関わりや会話、彼の生き様が自分にいかに影響を与えたのかを、今更ながら痛感している。たぶん3歳くらいの記憶から始まり、死んだ朝の事まで、息子として本当に些細なエピソード(ばかり)を憶えているものだ。
それは、ある夜のお風呂の場面だったり、オヤジに初めて殴られた日曜日の朝の事だったり、オヤジが酔っぱらって帰って来た夜のことだったり、初めてオヤジに腕相撲で勝ちそうになりわざと負けた日の事だったり、初めてのゴルフコースで「大人のルール」を教えてもらった事とか、受験することを秘密にしていて医学部に合格したことを伝えたら、驚きつつスゴく喜んでくれた日のこととか・・・。彼の晩年のことを思い出すと胸が痛い。死んでからわかるオヤジの有り難さ。オヤジとムスコというのは、面と向かってはなんだか照れくさくて本音は出せないものなんだけれど、今「有り難うございました」と。
生きている時に親孝行っていうのは出来なかったので、こうやって思い出す事が最大の供養なのかもしれない。