November 28, 2010

人を見る目を養う「場」としての学校

学生時代に出会った友達というのは、生涯の宝物だと思う。「いい学校」「いい教育」というものは極言すれば、良き師と出会い、佳き友と出会うこと、即ちいい出会いをする可能性が高い「場」なのだ。偏差値が高いからいい学校というわけではないし、難しい試験を課しているからいい教育を提供できる訳でもない。そんなことは当たり前なんだけれど。まあ、やさぐれた学校よりは有名校とか人気のある歴史と校風のしっかりした学校のほうが、結果的に偏差値が高くなっている。これは「いい場」に当たる確率の問題なわけだ。

そしてその「場」で「人を見る目を養うこと」、これがキモなんじゃないかと思う。学校における学生の本分は学業を修めて体を鍛えて「将来の自分のために投資する」ことだけれど、その時には大部分の当事者達(子供達)には、「その大切さ」はわからないものなのだ。もちろん当時の僕もわかっていなかった。でも、それと同じくらいかそれ以上に、自分と違ういろんなキャラクターの友達と出会って刺激しあいながら高めていける「場」であることが大切なのだと思う。

そして、ソレ故に教育にはお金がかかる。長い時間が必要だから。我が家の子育てをほぼ終わってみて振り返るとスゴい金額だ。でも親から子供にできる最大限のギフトは、その「いい教育の機会」を出来る限り与える事だろう。というか、それしかないわな。振り返ってみて僕は本当に恵まれていたと、つくづく思う。親に感謝しなければいけないと、この歳になって思ったりして。「勉強しろ」とか「いい学校に行け」とは、ただの一度も言われた事はなかったけれど、彼らにうまく誘導されたのかな(爆)。その意味からも感謝している。

午後からは巣鴨のイタリアンにて先週のライブの打ち上げ。仲間と楽しい時間。夜はかみさんの誕生日で雪見鍋。今シーズン初か。